ポップ音楽ファンとしての個人的な歴史を100曲で振り返るシリーズPart.2

21. 地球の片隅で(砂漠編)/近田春夫&ビブラトーンズ (1982)

休日にたまたまつけていたテレビでライブ映像を見て度肝を抜かれた曲。エレ・ポップとファンカラティーナと歌謡ポップスが一つになったような素敵すぎる構成で、「少年少女恋すれば 青春一生懸命」などと歌われる。この曲を収録した「VIBRA ROCK」は私が初めて買った12インチだけれど45回転のレコードだったかもしれない。

22. 君に、胸キュン。/イエロー・マジック・オーケストラ (1983)

80年代初めに社会現象ともなったテクノブームはこの頃にはすっかり終息して久しかったのだが、その影響は歌謡ポップス界に及び、後にテクノ歌謡などと呼ばれるような音楽がたくさんつくられる。この曲はテクノポップの本家本元、YMOがテクノ歌謡に挑んだとでもいうようなものであり、化粧品のCMにも使われオリコン週間シングルランキングで最高2位のヒットを記録した。1位を阻んだのは細野晴臣によるやはりテクノ歌謡、松田聖子「天国のキッス」であった。

23. Every Breath You Take/The Police (1983)

ポリスはニュー・ウェイヴにレゲエの要素を取り入れたような音楽性、スティングの独特なボーカルなどで日本でも人気があった。サウンドや曲調がひじょうに大人っぽくなったこの曲は純愛ソングだと思われてもいたが、後にストーカー的な心理状態を描いたものだということが明かされる。収録アルバム「シンクロニシティ」は当時、やたらと評価が高かった。

24. Buffalo Gals/Malcolm McLaren (1982)

セックス・ピストルズの元マネージャーでいかがわしいイメージがひじょうに強いマルコム・マクラレンがリリースした邦題「俺がマルコムだ!」というアルバムからの先行シングル。当時はまだメインストリームではなかったヒップホップを取り上げた、ポップな楽曲。アルバムではアフロ・ポップなど様々な音楽が取り上げられていて、とても楽しい。

25. Oh! Baby/RCサクセション (1983)

バンドの状態は必ずしも良くなかったという時期にレコーディングされたアルバム「OK」からの先行シングル。RCサクセションの楽曲としてはやや異色な印象も受ける、ビートルズ的なラヴ・バラード。この年の夏に札幌でサザンオールスターズとの豪華すぎる対バンライブを見た個人的な記憶も含め、ひじょうに思い入れが強い楽曲でもある。

26. 瞳はダイアモンド/松田聖子 (1983)

80年代の松田聖子の作品には当時の日本のポップ・ミュージック界における優れた才能が集中していた、という印象も強い。呉田軽穂こと松任谷由実が作曲したこの曲は、「映画色の街」を舞台としたシティ・ポップ歌謡とでもいうべき素晴らしい出来である。

27. Oblivious/Aztec Camera (1983)

当麻町から通っていたニュー・ウェイヴ好きの友人から、アズテック・カメラのデビュー・アルバム「ハイ・ランド、ハード・レイン」は貸してもらった。エレ・ポップ全盛の時代にあって、ネオ・アコースティックなサウンドが実に新鮮であった。当時の日本では環境音楽的だったりトロピカルでもある音楽として聴かれていたような気もするのだが、記憶違いの可能性もまあまあ高い。

28. My Ever Changing Moods/The Style Council (1984)

日曜夜にNHK-FMで放送されていた「リクエストコーナー」で初めて聴いて、これぞまさに求めていた音楽だと大興奮して、録音したカセットテープを何度も繰り返し聴いた。収録アルバムの「カフェ・ブリュ」を買ったら、別のアレンジのバージョンが入っていたが、アルバム全体がとても良かった。音楽的にバラエティーにとんでいるのだが、全体がある美意識で統一されているようなところがとても良いと感じた。

29. Dancing In The Dark/Bruce Springsteen (1984)

第2次ブリティッシュ・インベイジョンに対するアメリカの逆襲というようなムードも当時は確かあったような気もするのだが、収録アルバム「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」はストレートなロックンロールが逆に新しく感じられた。そして、この先行シングルではシンセサイザーを導入するなど、やや時代のトレンドに寄せてきてもいて、その絶妙な具合が個人的にはとても良いなと感じたのだった。

30. When Doves Cry/Prince (1984)

評論家受けはするのだが、いま一つメジャーに大ブレイクはしないという印象が強かったプリンスだが、前作辺りから本格的に売れてきて、この曲と収録アルバム「パープル・レイン」で一気に爆発した。それにしても、確かにポップでキャッチーではあるのだが、ひじょうにユニークな楽曲であり、これが全米シングル・チャートで1位になったということがまず痛快であった。

31. ミス・ブランニュー・デイ/サザンオールスターズ (1984)

1978年のデビュー曲「勝手にシンドバッド」からいきなりヒットして、シングルのセールスだけは低迷期があったものの、概ね順調であり、この頃には批評家からの評価も高くセールスも好調という、ひじょうに理想的な状態だったように思える。シンセサウンドを効果的に導入したこの曲もサザンオールスターズ節とでもいうような本来の魅力に加えて新しさもあり、ロングヒットを記録した。個人的には学校祭の準備をしていた放課後の校庭のラジカセから流れていた印象がひじょうに強い。

32. When I Think Of You/Janet Jackson (1986)

ジャム&ルイスがプロデュースした収録アルバム「コントロール」により、マイケル・ジャクソンの妹というだけではなく、ソロ・アーティストとしても本格的にブレイクしたといえる。初の全米NO.1ヒットとなったこの曲には80年代ポップスの良いところを凝縮したような、キュートでポップな魅力が溢れているように思える。

33. Be My Baby/The Ronettes (1963)

大学のキャンパスでとても素敵な一人の女子が大好きだといっていたのが理由で、自分でも好きになった曲。オールディーズだとかガールズ・ポップとかスペクター・サウンドとかいろいろなサブジャンルを代表する楽曲といえるが、そういったカテゴライズを超越したポップスの魔法が感じられる最高の録音作品である。

34. Strawberry Fields Forever/The Beatles (1967)

ビートルズは諸事情によりそれまであまりちゃんと聴いていなくて、CD化を機会に系統だてて聴こうと思ったものの途中で挫折していた。この曲はトッド・ラングレンのカバーを聴いてとても良いと思ったので、六本木WAVEのバーゲンでビートルズのオリジナルを買ったのだが、さらにもっと良くて驚かされた。

35. Alison/Elvis Costello (1977)

宇田川町にあった頃のタワーレコード渋谷店でエルヴィス・コステロのベスト・アルバムを買って、この曲のシニカルな感じに衝撃を受けた。

36. 19(nineteen)/岡村靖幸 (1988)

旭川に帰省していて、東京(正確には神奈川)に戻る前夜に「ロッキング・オンJAPAN」でインタヴューを読み、少し気になっていたところ、深夜のFM北海道でこの曲がかかった。ジョージ・マイケル「FAITH」に少し似ているような気もしたが、その独特な日本語の歌詞をメロディーにのせるセンス、そして、テーマは深刻な大問題である性愛についてである。東京(正確には神奈川)に戻ってから相模原のすみやで収録アルバム「DATE」を買って、さらに衝撃を受けることになる。

37. おはよう こんにちは/エレファントカシマシ (1988)

「ロッキング・オンJAPAN」ではひじょうに推していたのだが、あまり売れてはいなかったと思う。バブル景気に浮かれ気分の当時の日本において、孤高とも思える音楽性であった。しかし、そこに切実さを感じ、救いを求めるかのようなテンションで聴きまくっていた。

38. Buffalo Stance/Neneh Cherry (1988)

ヒップホップやクラブ・ミュージックの要素を取り入れたポップスとして、最高にクールでカッコよく思えた。当時における最新型のポップ・ミュージックであり、その強度を今日においてはエバーグリーンなものとして楽しむことができる。

39. Fade Out/小泉今日子 (1989)

当時、最先端のトレンドでもあったハウス・ミュージックを取り入れた歌謡ポップス。KYON2はいつでも最高にクールだし、近田春夫による楽曲はハウス・ミュージック的ではあるが、あくまで歌謡ポップスとしてのツボを外していないところがたまらなく良い。

40. Fight The Power/Public Enemy (1989)

80年代後半のポップ・ミュージック界において、最もラジカルな音楽といえるのは、パブリック・エナミーなどのヒップホップだったと思われる。サウンドの新しさとメッセージ性、それはかつてパンクやニュー・ウェイヴが担っていた役割を引き継いでいるようにも思えた。この曲がテーマソングとして使われていたスパイク・リー監督の映画「ドゥ・ザ・ライト・シング」は、日本ではこの翌年に公開された。

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