1982年の春休みに札幌のタワーレコードに行った時のことなど

中学生の頃のことなのだが、日曜日に友人の家にレコードを持っていき、お互いのものを聴かせ合うということをよくやっていた。私はロックやポップス、友人はソウルやジャズを好んで聴いていたのだが、お互いにジャンルを問わずわりと幅広く好きだったので、なかなか楽しい集いであった。しかし、いわゆる普通の中学生同士なのでそんなにたくさんレコードが買えるという訳でもなく、お互いの持ちネタが早々に尽きてしまうこともあった。そんな時は友人の兄のレコードを聴いた。

友人の兄は旭川の高校を卒業し、札幌の大学に通っているのだという。それで、旭川の実家に置いていったステレオでレコードを思う存分、聴くことができた。イーグルスの「呪われた夜」などを貸してもらったり、シカゴの「サタデー・イン・ザ・パーク」に衝撃を受けたことなどを覚えている。また、ディスコ・ポップの傑作だというようなことが帯に書かれていたヴァン・マッコイ「ハッスル」を聴くものの、いまひとつピンとこないというようなこともあった。

それで、彼と話をしていると、兄からの情報で札幌にはタワーレコードとかいうすごいレコード店があって、なんでもそこでは夥しい量の輸入盤レコードが売られているのだという。レコード店の名前といえばミュージックショップ国原とか玉光堂とかクローバー音響とかマチイ楽器とかそういうのしか知らないわけだが、タワーレコードというのは何だかとてもシンプルすぎる店名であり、なんだか現実感がないようにも感じられた。

1982年の春、松本伊代の「ラブ・ミー・テンダー」を何度もリピート再生し、気合いを入れて臨んだ高校受験には何とか合格することができて、やっとプレッシャーから解放されることができた。それで、札幌に遊びにいこうと思ったのだが、目的は噂に聞いていたタワーレコードである。いまでこそCDを買う人で知らない人はいないのではないかというぐらいの知名度を誇るタワーレコードだが、当時はそうでもなかったと思われる。

というのも、1960年に前身となるレコード専門店がアメリカのカリフォルニア州で開店したというタワーレコードが初めて日本に出店したのは1980年、しかもその1号店はこの札幌店だったのである。しかも、アメリカのタワーレコードに無断で勝手にその屋号を名乗って営業していた店と正式に契約したのだという。現在、札幌のタワーレコードがある場所とは異なり、よりすすきの寄りの中央区南3条西4丁目、五番街ビルの2階にあった。同じビルにはボッサというジャズ喫茶もあったという。

札幌に滞在している間、親戚の家に泊めてもらうことになっていた。札幌駅で叔母とまだ小さかったいとこと待ち合わせをして、ESTAのレストランで食事をした。「ESTAおめでとうフェア」という館内放送が何度も流れていて、いとこが「おめでとうフェアだって」と繰り返し言っては楽しそうに笑っていた。そこから五番街ビルまではいま考えるとかなりの距離があったのだが、とりあえず歩いて何とかたどり着いた。どのように調べて行ったのか、いまとなってはまったく想像もつかないのだが、とにかく無事にたどり着いた。

私がレコードを見ている間、叔母といとこは同じビルの喫茶店で待っているということになった。ドアを開けると、いきなりアメリカだった。いや、もちろん札幌だった訳で、店員も客もほぼ全員が日本人だったに違いない。しかし、店内には輸入盤のレコードばかり、置いてある英字新聞のようなものは自由に持って帰ってもいいようである。今日における「bounce」のようなものだろうか。

全米アルバム・チャートにランクインしているようなレコードが、おそらくほとんどあるのではないだろうか。日本人アーティストのレコードはもちろん、海外アーティストの日本盤すら見当たらない。輸入盤専門店なわけであり、そんな店は旭川には1つもなかった。

タワーレコードの日本での2号店は、1981年に渋谷でオープンしている。これも現在の場所とは異なり、宇田川町の東急ハンズの斜め向かいあたり、現在はサイゼリヤが入っているビルである。ここも当時は輸入盤専門店であり、日本人アーティストのCDも扱うようになったのは80年代後半か90年代の初めぐらいだったのではないか、というような気がする。

さて、わざわざ札幌のタワーレコードまで来てどのようなレコードを買うのかというと、当時は全米ヒット・チャートものぐらいしか聴いていないので、やはりそのようなものになる。旭川でも買えるのではないかといわれるとそれは買えるのだが、タワーレコードで買うということそのものに価値を見いだしていた。それで、買ったレコードはというと、ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツ「アイ・ラヴ・ロックンロール」、リック・スプリングフィールド「アメリカン・ガール」、カーズ「シェイク・イット・アップ」、ダリル・ホール&ジョン・オーツ「プライベート・アイズ」と、ベタなものばかりであった。

大滝詠一、佐野元春、杉真理の「ナイアガラ・トライアングルVol.2」がそろそろ発売されている頃ではないかと思い、玉光堂に行った。当時のタワーレコードでは日本人アーティストのレコードは扱っていなかったので、これを買うには他のレコード店に行く必要があった。玉光堂に行くとやはり売られていたので、迷うことなくレジに持って行った。ピンク色のジャケットが売場で輝いていた。このレコードは大滝詠一「A LONG VACATION」のちょうど一年後、1982年3月21日に発売されていたはずである。

杉真理の音楽はこのレコードで初めて聴いたのだが、どこかオールディーズ風な「Nobody」やバラードはニューミュージックすれすれなところもあるが、なかなか良いなと感じたのであった。そして、中学校で一年の頃から好きだった女子と高校は離れ離れになってしまう訳だが、そうなった場合、一体、何を日々生きていく上での動機づけにしていこうかと、わりと真剣に悩んでもいた。しかし、高校に入学して数ヶ月もすると、それはまったく平気になった。この時に人の気持ちというのはいかに適当でいい加減であるかということを、身を持って知らされたような気分になった。

その夜、仕事から帰って来た叔父にタワーレコードの話をするとひじょうに興味を示し、ちょうどリリースされたばかりのサイモン&ガーファンクルのライブ盤を買おうと思っていたということであった。それで翌日、札幌の街で夜に待ち合わせをし、ラーメンを食べてからタワーレコードに叔父を案内した。日本盤よりも価格がかなり安いと私は伝えていたのだが、見てみると思っていたほどではなかったらしく、結局は買わずに帰った。

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