1981年ぐらいのオールディーズでシティ・ポップな気分のようなものについて

さて、1981年3月21日に大滝詠一「A LONG VACATION」が今年でリリース40周年ということで、当日には他の作品を含めてストリーミング配信がついに開始、ということがいろいろと話題になったりもしているようだ。

日本のシティ・ポップ的な音楽が昨今、海外の音楽ファンからも人気で、まずは数年前にテレビ番組で大貫妙子「SUNSHOWER」を探して海外からやって来た男性のことが取り上げられ、それから竹内まりや「PLASTIC LOVE」だとか最近では松原みき「真夜中のドア」などが人気ということが話題になっていた。

竹内まりやの「PLASTIC LOVE」は1984年のアルバム「VARIETY」に収録されていて、当時、旭川の高校生だった私はその時の感じをなんとなく覚えていたりもするのだが、あのアルバムには全体的にオールディーズなイメージがあり、「PLASTIC LOVE」のシティ・ポップな感じはどちらかというとアルバムの中では異色という感じであった。1989年にリリースされた山下達郎のライブアルバム「JOY」にカバーバージョンが収録されていて、それが竹内まりやのオリジナルとは対照的にわりとエモーショナルな歌唱なのだが、それでこの曲に再注目し、竹内まりやのオリジナルを聴き直してみると、このクールな感じもまた良いなと思ったりして、それからわりとお気に入りであった。

それで、竹内まりやの「PLASTIC LOVE」は海外のリスナーに人気なのだがオールディーズな作品はそれほど人気がないとか、同様にオールディーズ的な要素が強い大滝詠一の作品も日本ではシティ・ポップの代表のように見なされているが、海外の音楽ファンにはそれほど人気がなく、たとえストリーミング配信が解禁されたとしても人気は出ないのではないか、というような意見も散見される。それは確かにそうかもしれないな、というようなことを感じたりもするのだが、海外の音楽ファンに人気があるということはその音楽の魅力の一面に過ぎず、たとえ海外のファンからの人気がそれほどなかったとしても、その音楽そのものの価値が低くなるというものでもないような気はする。

それはそうとして、1981年に「A LONG VACATION」はなぜあれほどまでに売れたのかというと、様々な分析をいろいろな人達がしているような気もするのだが、当時の時代の人々の欲望にふれるようなところが何となくあったのだろう。それにしても、テレビにも出ず、シングルがそれほどヒットした訳でもないのに、オリコンのアルバムランキングで寺尾聰「リフレクションズ」に次ぐ年間2位である。一部のマニアックな音楽ファンに受けていたというよりは、国民的ヒット作といっても過言ではないような状態だったのである。

「A LONG VACATION」の音楽性を一言で表すならば、オールディーズ的な感覚を持ったシティ・ポップというようなものなのかもしれないが、当時、このアルバムのような音楽のことをシティ・ポップと呼んでいたかどうかについては記憶があやふやである。おそらく呼ばれてはいなかったのではないかというような気が、なんとなくしている。

オールディーズもシティ・ポップ(と後に呼ばれるかもしれない)も感覚としてはわりと流行っていたようなところがあるのだが、それをメインで需要している層というのはそれぞれ異なっていたのではないかという気がなんとなくしている。

たとえばオールディーズといえば、当時の旭川の中学生でいうとツッパリとか不良とか呼ばれがちな、あるいはそのようなベクトルで自己をアイデンティファイしているようなタイプの人達によって聴かれていたような気がする。T.C.R.横浜銀蠅R.S.の「ツッパリHigh School Rock’n Roll (登校篇)」がヒットしたのはこの年で、ヤンキーという単語はまだ関西限定だったのではないだろうか。嘉門達夫の「ヤンキーの兄ちゃんのうた」が1983年にリリースされて少し話題になっていた頃、関西では不良のことをヤンキーと呼ぶらしいといううっすらとした印象だったような気がする。

原宿の歩行者天国でキャンディーポップやテクノポップ、アイドル歌謡までエクレクティックな音楽をラジカセで流し、それに合わせて派手な衣装で踊る若者達、竹の子族が話題になったのは1980年、この様子は全国的にもよく報道されていた。その頃、ローラー族という一団もいて、女子はポニーテールにフリフリスカート、リーゼントに革ジャンといったスタイルで、オールディーズのロックンロールなどをかけながら踊っていたという。

このローラー族の元となっているのがロックバンド、クールス周辺のバイクグループ、クールズだといわれ、彼らがディスコで派手な衣装で踊っていた若者達を原宿で一緒に踊ろうと誘って、それが竹の子族になったという話もあるようである。

旭川に竹の子族やローラー族は存在しなかったとは思うのだが、こういった傾向を好む女子や男子はやはりオールディーズ的な音楽やファッションを好んでいるように思えた。当時の日本のヒットチャートにおいては、ザ・ヴィーナス「キッスは目にして!」、アラジン「完全無欠のロックンローラー」などに、このようなローラー族やオールディーズ的な気分を感じ取ることができる。

このような傾向を好む男子は炊事遠足(野外でジンギスカンを調理して食べたりする北海道ではお馴染みの学校行事)の集合写真で「E.YAZAWA」のタオルを広げて写っていたり、カバンに「Cools」のロゴを黒マジックで書いたりしていて、原宿のクリームソーダというブティックが出しているらしいポマードを愛用していたりもした。一方、女子はシャネルズなども好んで聴いていたような印象がある。また、なぜか「LARK」など煙草のパッケージの柄の紙袋やゴミ箱などが愛用されていたりもした。あとは「NOWィ君」なる、ツッパリ少年少女をファンシーに描いたイラスト入りグッズが流行っていたような気もする。ちなみに、私はこの「NOWィ君」の「ィ」の部分を小さな「T」だとずっと思っていて、「NOWT君」とはどういう意味なのかと疑問だったのだが、つい先ほどこの件を調べていて、あれが「ィ」だったのだと知って小さく感動したりもしている。

それで、シャネルズなのだが1980年にデビュー曲「ランナウェイ」が大ヒット、顔を黒塗りにしたスタイルは当時は純粋なリスペクトとして特に問題になることもなかったが、今日ではやってはいけないこととして認識されていて、これは文化的に成長したということである。それはそうとして、ドゥーワップという音楽を日本のポップ・ソングに落とし込んだのは実に新鮮であった。その後、一部メンバーによる不祥事が原因で何ヶ月か謹慎した後、カムバック作となる「街角トワイライト」が大ヒットした。

その頃、私はまだそれほどポピュラーではなかった佐野元春の音楽をNHK-FMの「軽音楽をあなたに」で聴いて、これは良いぞと夢中になったのであった。大滝詠一の「A LONG VACATION」はその頃にはもう売れてきていて、気にはなっていたのだがレコードを買うには至っていなかった。その後、大滝詠一のナイアガラ・トライアングルというユニットに佐野元春、杉真理が抜擢され、シングル「A面で恋をして」がリリースされる。これもまた、オールディーズからの影響が感じられる曲である。その前に、佐野元春は代表曲となる「SOMEDAY」のシングルをリリースするのだが、当時はそれほど売れていなかった。これはフィル・スペクターズのウォール・オブ・サウンドからの影響が感じられる曲で、これについてはフィル・スペクターが亡くなった時に、佐野元春自身もコメントで言及していた。そこには、大滝詠一の名前もあった。

大滝詠一が「A LONG VACATION」そ制作するに辺り、このような音楽をつくりたいのだといっていたのが、J.D.サウザーの「ユア・オンリー・ロンリー」である。西海岸のシンガー・ソングライターで、イーグルスやリンダ・ロンシュタットなどとも関係が深い。この曲は1979年9月にリリースされたアルバムからの先行シングルでありタイトルトラックでもある。ジャケット写真からして、当時、流行していた日本でいうところのAOR、ボズ・スキャッグスなどの感じを狙ったものだと思われる。実際に日本ではAORの名曲として知られ、コンピレーションCDなどにも収録されがちである。AORが流行していた頃の若者群像を描いた1991年の映画「波の数だけ抱きしめて」でも使われたりしていた。そして、この曲はロイ・オービソンの「オンリー・ザ・ロンリー」というオールディーズにオマージュを捧げた作品でもある。

大滝詠一の「A LONG VACATION」「ナイアガラ・トライアングルVol.2」などが気に入っていたので、1982年辺りには大滝詠一に関するレコードということで、オーケストラアレンジされたインスト曲を集めたものやCMソング集のようなものまで買っていたのだった。CM集のレコードの方にはEPOとシャネルズが一緒に歌っている曲が収録されていたのだが、当時、大滝詠一、山下達郎、佐野元春といったナイアガラ系はどちらかというと優等生的な若者が聴く印象があり、対してシャネルズにはこれもどちらかというとマイルドにツッパリ寄りというような感じがしていて、大滝詠一のレコードにシャネルズの歌が入っていることに意外性を感じたりもした。しかし、実は元々、交流があったことも後には知るし、ラッツ&スターに改名後の1983年には大滝詠一のプロデュースで「SOUL VACATION」をリリースしたりもしている。

田中康夫の小説「なんとなく、クリスタル」が単行本で出版されたのは、この年の1月であり、その中で主人公達は主にAORを好んで聴いていた。舞台となっているのは1980年の6月だが、その頃は知る人ぞ知る的なレコードであっただろうクリストファー・クロスの「南から来た男」はその後に大ヒット、この年のグラミー賞では新人アーティストにして主要部門を独占したことが話題となっていた。その後も、日本の都会的な志向を持つ若者にAORは人気があり、バーティ・バリン「ハート悲しく」のような曲がヒットしたりもした。

シティ・ポップは日本版のAORなのではないかと思えるようなところがあったり、AORは大人のためのロックでそういった意味では「A LONG VACATION」や「リフレクションズ」などはまさにそうなのかもしれないが、田中康夫の小説の登場人物が聴くような音楽と似ているかというとそうでもないような気がする。

という訳で、「A LONG VACATION」があれだけ売れたのは、当時の日本になんとなく漂っていたオールディーズ的なものやシティ・ポップ(と後に呼ばれるかもしれない)的なものを最大公約数的かつ絶妙なバランスですくい上げ、マイルドに欲望を満たすようなサムシングが偶然にも含まれていたからではないか、というような気がしなくもないのだが、そうでもないような気がしたりもする。

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