1981年の九十九一とうまい棒と黄金岬の思い出などについて。

大滝詠一「A LONG VACATION」の発売40周年記念日が近づいているということで、引き続き1981年のことを考えたり思い出したりしているのだが、一般的に流行した事象についてもさることながら、個人的にこれはこの年の出来事として印象深いなということも思い出したりしたので、今回はそれについて記録していきたい。

80年代初めの漫才ブームを象徴するテレビ番組といえば、まず「花王名人劇場」「THE MANZAI」があり、それから「笑ってる場合ですよ!」「オレたちひょうきん族」と、いずれもフジテレビ系の印象が強いのだが、個人的にかなり好きで毎週、録画して繰り返し観たりもしていたのが日本テレビ系で土曜の昼頃に放送されていた「お笑いスター誕生!!」である。

この番組はお笑い界のスターを目指す芸人が何組か出演しネタを披露、審査によって合格、不合格が決まるのだが、合格すると次の週も出演できて、不合格になると2ヶ月間、出演することができないというものであった。勝ち抜いた週が増えるごとに銅賞、銀賞、金賞が授与され、10週勝ち抜きでグランプリ獲得となる。

1980年4月12日に放送が開始されたこの番組で初めて10週勝ち抜き、グランプリを獲得したのはB&Bで、7月5日のことであった。とはいえ、その頃にはすでに人気絶頂であり、数日前にフジテレビで放送された「THE MANZAI」もかなりの高視聴率を記録した。2代目グランプリはおぼん・こぼんで、8月16日に獲得している。現在も浅草の師匠として活動し、ナイツの塙宣之によってネタにされることなどもあるが、昨今はコンビ間の不仲が「水曜日のダウンタウン」で取り上げられ、話題になっていたような気もする。

B&B、おぼん・こぼんはいずれも10週ストレートで勝ち抜いてのグランプリ獲得だったが、3代目のギャグ・シンセサイザーは一旦、不合格になってから再チャレンジでグランプリを獲得した。再チャレンジの場合は、前回に不合格になった週目からの挑戦ということになる。ギャグ・シンセサイザーというコンビ名はいかにもテクノブームの1980年を感じさせたりもするが、アマチュアからの挑戦であり、その後、所ジョージと同じ事務所に所属したはずである。数年後に交通事故を起こし、それが原因で引退、グランプリも剥奪している。

そして、4代目のグランプリを獲得したのが九十九一であった。「お笑いスター誕生!!」では、芸人が出演する際のテロップで漫才、漫談、コントというように、芸のジャンルが表示されるのだが、九十九一の場合はダンマイクとかいう後にも先にも見覚えがないものであった。とにかくマイクを使っていろいろなことをやる人、というような説明が九十九一のラジオ番組か何かでされていたような気がする。

私が「お笑いスター誕生!!」を見はじめた1980年の11月ぐらいからだと思われ、九十九一が初めて出演したのもちょうどその頃であった。ちなみに同じ週の放送には大木こだま・ひかり、海原さおり・しおり、でんでん、ゆーとぴあも出演していたのだが、大木こだまは後に海原さおりと結婚をしている。九十九一のことを当時はまったく知らなかったのだが、子供が作文を読むという形式の一人コントのようなものは、当時、中学生であった私の心を強く揺さぶった。その日、この番組を特に意味もなくビデオカセットに録画していたのだが、これが面白くて何度も繰り返し観た。そして、翌週から「お笑いスター誕生!!」で九十九一の新しいネタを見ることがとても楽しみになった。

土曜日は午前中には中学校の授業があって、その後、美術室の掃除などをした。教室には石炭ストーブがあり、何らかの液体をかけることによって火を激しく燃やし、それに向かって「アラー!」などと叫びながら拝むようなアクションをするというしょうもない遊びが一時的に流行し、すぐに廃れた。それから家に帰り、昼食を食べて「お笑いスター誕生!!」を見るのだが、その後、カリフォルニアロードという名称の青い自転車に乗って、旭川の市街地に行った。ミュージックショップ国原に「ミュージックラボ」付録のビルボードのチャートの紙が設置されていて、自由に持ち帰って良いことになっていたので、それを毎週、取りに行っていた。その時に「オリコン・ウィークリー」も買っていたのだった。松田聖子「風立ちぬ」のアルバムがリリースされたのは、この年の10月21日、九十九一が「お笑いスター誕生!!」に初登場する約1ヶ月前である。私が「オリコン・ウィークリー」を買うためにミュージックショップ国原のレジの前の列に並んでいると、目の前で制服を着た中学生ぐらいの女子が「風立ちぬ」のアルバムを買っていた。松田聖子は少し前まではかわい子ぶりっ子などと呼ばれ、女子からは嫌われがちな存在だったのだが、最近では聖子ちゃんカットが流行するなど、女子からも人気があるなどともいわれていて、その噂は本当なのだなと感じたりもした。

九十九一はラジオドラマやニュース番組のパロディー、SFショートショートのようなテイストを感じさせる漫談などを得意とし、奇才だとかタモリ二世だとかもいわれていたような気がする。見れば見るほど好きになり、いろいろ調べているうちに岐阜放送というローカルなラジオ局で番組のパーソナリティーをやっていることを知る。それで、中学校の入学祝いで買ってもらったBCLラジオ、ナショナルプロシード2600で受信を試みるのだが、電波が微弱であることもあり、雑音交じりでほとんど聴き取ることができない。それでも、最終回で泣いているのは聴き取れたような気がする。

年が明けて1981年1月31日、ここまで8週ストレートで勝ち抜いていた九十九一だが、9週目でついに不合格になってしまう。同じ週に初出演した大木こだま・ひかりはその後も順調に勝ち進み、10週ストレートでグランプリを獲得するも大木ひかりの麻薬所持によってすぐに剥奪、録画されていた8週目以降は放送すらされていない。その後、新しい相方と大木こだま・ひびきを結成し、現在に至る。

3月21日に大滝詠一「A LONG VACATION」、イエロー・マジック・オーケストラ「BGM」、沖田浩之「E気持」といったレコードが発売されるが、この日の「お笑いスター誕生!!」では元ハンダースのアゴ勇と佐藤金造によって結成されたアゴ&キンゾーが3週目の勝ち抜きに成功し、銅賞を獲得していたのだった。

「お笑いスター誕生!!」では不合格になったものの、九十九一はかなり話題にもなっていて、1981年4月からはTBSラジオ「パックインミュージック」の金曜日を担当することになる。他の曜日にはニッポン放送の「オールナイトニッポン」をSTVラジオで聴くことが多かったのだが、この曜日だけは「パックインミュージック」を聴いた。ちなみに、その頃に裏で「オールナイトニッポン」をやっていたのは吉田拓郎である。この頃の「オールナイトニッポン」で、月曜の中島みゆき、火曜の所ジョージ、水曜のタモリ、木曜のビートたけし、土曜の笑福亭鶴光はいずれも強く印象に残っているのだが、金曜の吉田拓郎だけ印象が薄いのは、その日だけ「パックインミュージック」を聴いていたからなのだろう。

九十九一はその後、「お笑いスター誕生!!」に9週目から再チャレンジし、5月9日放送分において、グランプリを獲得するに至った。爆弾をつくったことの罪で警察の取り調べを受けているのだが、お好み焼きをつくっていただけだと供述する、というようなネタだったような気がする。同じ週に出演していたのは、とんねるず、シティボーイズ、横山たかし・ひろし、当時は立川レーガンという芸名だった2代目快楽亭ブラックと、わりと豪華なメンバーであった。なお、立川レーガンの芸名の由来になったと思われるロナルド・レーガンはこの年の1月20日にアメリカ合衆国の第40代大統領に就任している。

何がきっかけだったのかはよく覚えていないのだが、九十九一の「パックインミュージック」でなぜか、うまか棒のテレビCMを真似するのが流行った。うまか棒は1979年に発売が開始された明治のアイスキャンディーで、棒状の形をしてチョコレートがコーティングされたものなど、いくつか種類があった。当時は1本50円ぐらいで販売されていたと思うが、最近でもスーパーでミニサイズを箱に詰め合わせたものが売られていたような気がする。商品名の「うまか」は「美味しい」の九州弁だと思われ、当初は九州限定販売だったという。テレビCMでは九州弁を話すおばあちゃんに扮したタレント、ばってん荒川が出演していた。そして、CMで流れる「うま~か棒~」というような低音のジングル的なものがひじょうに印象に残る。九十九一が番組内で繰り返していたのも、このフレーズである。ある時は、スタッフのような人達と「ドゥーワップ、ドゥーワップ」などと歌った後で「うま~か棒~」「うま~か棒~」というように掛け合いをする「ドゥーワップうまか棒」なるものもやっていたような気がする。

それで、「うまか棒コーナー」なるものも開始されるのだが、特にコンセプトは決まっていなく、リスナーがうまか棒に関するハガキを送り、それを九十九一が読んで笑ったり笑わなかったりするというものであった。

当時、私は中学生で弟が小学生だったのだが、小学校から帰宅するまでの間に加藤商店という駄菓子屋のような店があった。店頭にはコーラなどの自動販売機や10円玉を入れて遊ぶタイプのゲーム機などが置かれた、当時としては典型的なタイプの店である。私も小学生の頃にはよく行っていて、いろいろな駄菓子や指に塗って付けたり離したりすると煙が出ているように見えなくもない、おばけけむりなどというよく分からない商品などを買ったりもしていた。中学生にもなるとさすがにこのような店にはもう行かなくなり、ドンキーコングなどのテーブルタイプのゲーム機が設置されている店が主流になった。

弟がよく買っている駄菓子の中に、うまい棒というのがあった。駄菓子によくありがちなパチモノ的なイメージでいっぱいだという印象であった。まず、商品名からして当時の人気商品であるうまか棒をパクっている。とはいえ、うまか棒のようなアイスキャンディーではなく、棒状のコーンスナックである。などとわざわざ説明しなくても、この時代から40年後の現在、うまい棒はバリバリの現役、ロングセラーにしてベストセラーで、いまやうまか棒よりもずっと有名である。しかも、うまい棒もうまか棒と同じ1979年の販売開始ということなので、果たしてこのネーミングもうまか棒にインスパイアされたものなのか、偶然似てしまったのか、よく分からないようなところもある。

しかし、当時の印象としてはうまか棒はテレビでCMもやっているし、明治という大手のメーカーから出ているしで、うまい棒の方にどうしてもパクリ的な印象を持ってしまったのであった。そして、パッケージに描かれたキャラクターだが、当時はドラえもんに耳を付けたしたものであり、これにもパクリ的なテイストを感じたし、たとえばチーズ味などを食べてみると、やはり明治のカールとほとんど同じように思えた。このカールも東日本での販売を、2017年で終了している。

これは面白いと思った私はいまい棒の当時、発売されていたすべての種類を弟に買って着てもらい、それらの試食レポートを面白おかしく書いたものを、九十九一の「パックインミュージック」に投稿した。より具体的に伝えたいと思い、ハガキではなく封書にうまい棒各種の袋まで入れて送った。

すると、これが番組で読まれたのである。私が個人的に面白いと思ってあえて書いた「加藤商店」という固有名詞まで、九十九一は強調して読んでくれて、それがとてもうれしかった。九十九一やスタッフのような人達にも受けていて、気分はもう有頂天である。真夜中に一人で盛り上がりまくっていた。しかし、最後に「これ10円、安いなぁー。そらあんた、10円で美味しさを求めようとしているあんたの方が間違ってまっせ」というようなことを言われ、少しテンションが落ちたりもした。それでも、この放送を録音したカセットは私の宝物になり、しばらく大切に持っていたのだが、いつの間にかどこかに行ってしまった。これと松本伊代が文化放送の「ミスDJリクエストパレード」で、私のザ・スタイル・カウンシル「マイ・エヴァ・チェンジング・ムーズ」などのリクエストを採用してくれた時のカセットはどうして失くしてしまったのだろうと、いまだに後悔している。

当時、土曜日も父は仕事に行っていたのか、昼間は家にいなかったような気がする。弟は友達と遊びに行っていたのだろうか。母が急に思い立ったのか、元々、計画していたのか、それは定かではないのだが、妹と私を連れて留萌の黄金岬に行ったことがある。当時、旭川市民が海に行くといえば最も手っ取り早いのが留萌だったのだが、いつの間にか汽車も廃線になってしまったので、現在はどうなのだろうか。

ミュージックショップ国原にビルボードのチャートの紙を取りに行くことができず、日曜日に行ったのだが、まだ残っていたかどうかはよく覚えていない。ジョージ・ハリスンの「過ぎ去りし日々(All Those Years Ago)」がヒットしていた頃だったと思う。

その時のこともうまか棒に絡めて面白おかしく脚色し、九十九一の「パックインミュージック」に投稿し、採用されたはずである。

その後、九十九一は「ダイヤル991を廻せ」という本や「九十九ファースト 九十九一の部屋」というレコードも出し、いずれもすぐに買ったのであった。

レコードは出た時にあまりお金を持っていなくて、家中の100円玉などをかき集めた結果、やっと買える金額に達したので、カリフォルニアロードに乗ってミュージックショップ国原に行った。やっと買って帰ろうとしたのだが、自転車の鍵を解除しようとしたところで、下水道の網のようなところに落としてしまい、自転車に乗れないという事態に陥る。ジーンズのポケットに残っていた10円玉で公衆電話から家にかけて、なんとか弟に救助に来てもらった。弟は小学生ながら、謎の方法で自転車の鍵を解除する技術を習得していた。

このレコードはアルファレコードからリリースされていたのだが、先日、「レコード

・コレクターズ」のアルファ・レコード特集を立ち読みした感じでは、取り上げられてはいないような感じであった。

あと、当時、旭川の市街地にあっ小さな貸しレコード店の名前が「風優詩音」と書いて「フュージョン」と読んだような気がするのだが、誰か覚えている方はいらっしゃらないものだろうか。友人がイエロー・マジック・オーケストラのレコードを借りたりしていた。

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