20 Best Pop Songs of 1981

大滝詠一「A LONG VACATION」発売40周年の記念日を前に、1981年のことを引き続き考えたり思い出したりしているのだが、今回はこの年に海外でリリースされたポップ・ソングの中からこれは特に良いのではないかと思える20曲を抽出しランキング化、カウントダウンしていこうということに勝手に決めたのでやっていきたい。ちなみに対象となるのは1981年にリリースされた曲であり、実際にヒットしたり多くの人々の印象に残っている年とはズレているものもある。

20. Our Lips Are Sealed/Go-Go’s

デビュー・アルバム「ビューティ・アンド・ザ・ビート」が全米アルバム・チャートで1位に輝いたガールズ・ロック・グループ、ゴーゴーズのヒット曲。アルバムタイトルは「美女と野獣」の原題「ビューティ・アンド・ザ・ビースト」を捩ったものだが日本語だとなかなかそのニュアンスが伝わりずらい。一方、この曲の邦題は「泡いっぱいの恋」というものであった。ボーカリストのベリンダ・カーライルは後にソロ・アーティストとしても大成功を収める。

19. Pretty In Pink/The Psychedelic Furs

1986年に公開されたアメリカ映画「プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角」でもお馴染みだが、その年にリリースされたのは再録音バージョンで、オリジナルは1981年にリリースされていた。いかにも80年代っぽいニュー・ウェイヴ・ポップで最高である。

18. Let’s Groove/Earth Wind & Fire

日本のディスコ・ポップ・ファンにもひじょうに人気があったアース・ウインド&ファイアーといえば高音ボーカルとホーンセクションだが、この曲ではさらにテクノポップ以降を感じさせなくもないボコーダーの使用が印象的であった。lyrical school「夏休みのBABY」に引用されているような気もする。

17. Being With You/Smokey Robinson

スモーキー&ザ・ミラクルズが60年代にリリースした様々な素晴らしい作品よりも前に、コンテンポラリーなヒット曲としてこのシングルでスモーキー・ロビンソンを知り、レコードを買った。都会的なサウンドと甘くとろけるようなボーカルがとにかく魅力的に感じられた。全米シングル・チャート最高2位。

16. The Sweetest Girl/Scritti Politti

中心人物のグリーン・ガートサイドが美少年ということもあり、日本のニュー・ウェイヴ少女にもひじょうに人気があったスクリッティ・ポリッティだが、この時点での知名度がどれぐらいであったかは当時、私も知らなかったのでよく分からない。甘い歌声と実験的だがポップな音楽性がすでにかなり耳Good(天竺鼠・川原)である。

15. Ceremony/New Order

ボーカリスト、イアン・カーティスが自らの命を絶ったことが原因でジョイ・ディヴィジョンは解散、残されたメンバーを中心として結成されたのがニュー・オーダーである。これはそのデビュー・シングルであり、ダンス・ミュージックからの影響はまだ見られないが、暗さの中にあるポップ感覚のようなものが不敵に光っているようにも感じられる。

14. Never Too Much/Luther Vandross

ブラック・コンテンポラリーの新時代を感じさせた、ルーサー・ヴァンドロスのデビュー・シングル。現在ならばシティ・ソウルなどと呼ばれたり呼ばれなかったりするのかもしれない、AOR的な要素も入った音楽性はリリース40年後のトレンド感にも絶妙にマッチしているように思える。

13. Edge Of Seventeen/Stevie Nicks

フリートウッド・マックのメンバー、スティーヴィー・ニックスのソロ・アルバム「麗しのベラ・ドンナ」からシングル・カット。実際にヒットしたのは翌年である。音楽性や存在感も含め、なんとなくいまの時代にまた求められてもいるように感じたりもする(マイリー・サイラスの最新作への影響や「ドリームス」のリバイバルヒットなど)。

12. Walking On Thin Ice/Yoko Ono

ジョン・レノンが凶弾に倒れ、悲しみが世界を覆っていた年にリリース。ニュー・ウェイヴ的なサウンドはいま聴いても新鮮、というか時代の先を行き過ぎていたかもしれない、と感じたりもする。

11. Start Me Up/The Rolling Stones

ニュー・ウェイヴやエレ・ポップ、あるいは産業ロックなどが流行する時代にこれぞロックンロールの真髄という感じでリリースされたのがローリング・ストーンズの「刺青の男」。先行シングルのこの曲は全米シングル・チャートで2位のヒットを記録し、その後もライブでの重要曲の一つとなっていった。

10. Bette Davis Eyes/Kim Carnes

この年の全米シングル・チャートで年間1位を記録した曲。カントリーっぽい曲などを歌ったりもしていたシンガーだが、ハスキーなボーカルがニュー・ウェイヴ的なサウンドとマッチして大ヒットした。

9. I Can’t Go For That (No Can Do)/Daryl Hall & John Oates

そのポピュラリティーとクオリティーの高さの割にはポップ・ミュージック批評において軽んじられているような気もするダリル・ホール&ジョン・オーツだが、比較的、評価されているように思えるのがこの曲である。アメリカではポップ・チャートのみならず、ソウルやダンスのチャートでも1位に輝き、後にデ・ラ・ソウルにサンプリングされたりもした。

8. Pull Up To The Bumper/Grace Jones

ユニセックス的なファッションモデルとして、日本のマスメディアでも取り上げられがちだったような気がする。音楽も洗練された中に実験色が感じられるもので、この曲を収録したアルバム「ナイトクラビング」はこの年の「NME」で年間ベスト・アルバムに選ばれたりもした。

7. Genius Of Love/Tom Tom Club

日本では同じアルバムに収録されていた「おしゃべり魔女」の方がヒットしていたような気がする。中学校で同じクラスだった将棋好きの優等生までシングルを買っていたぐらいである。トム・トム・クラブはトーキング・ヘッズのティナ・ウェイマスとクリス・フランツによるユニットで、米米CLUBのバンド名にも影響をあたえたといわれる。

6. Just Can’t Get Enough/Depeche Mode

当時のアメリカとイギリスとではヒット・チャートに入っている曲の傾向がひじょうに異なってもいた訳だが、イギリスではエレ・ポップが大人気であった。一部の新しものの間で人気というレベルではなく、ちゃんとヒット・チャートの上位に入って、最新型の流行歌とでもいうべき位置づけだったように思える。ポップなシンセサウンドと抑揚の少ないボーカルに特徴がある(大抵のシンセ・ポップとはそのようなものであったが)この曲も、全英シングル・チャートで最高8位を記録している。

5. Don’t Stop Believin’/Journey

当時のアメリカでものすごく売れていたが、「ローリング・ストーン」誌などの歴代ベスト・アルバム的な企画ではけして取り上げられることがないのが、いわゆる産業ロックと呼ばれるタイプの音楽である。ジャーニーの「エスケイプ」はそれを代表するようなアルバムであり、当時の私も好きで買って聴いていたのだが、ある時期からもしかするとこれはダサかったのではないかと思い、聴かなくなっていった。しかし、後にアメリカの人気テレビドラマ「ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア」のラストシーンに使われたりしていたのも含め、再評価されてきたようなところもあり、先日は何らかの記録を達成したとかいうニュースも見たような気がする。

4. Under Pressure/Queen & David Bowie

これはクイーンのベスト・アルバムの先行シングルとしてリリースされていたような気がするのだが、イギリスでは1位になったもののアメリカでのシングル・チャート最高位はそれほど高くはなかったような気がする。クイーンとデヴィッド・ボウイの夢の共演ということが、かなり話題になっていたように思える。ヴァニラ・アイス「アイス・アイス・ベイビー」の元ネタとしても知られる。

3. Ghost Town/The Specials

70年代終わりから80年代初めにかけて、イギリスのスカ・リバイバルの中心的バンドだったのがザ・スペシャルズとマッドネス。マッドネスはこの年にホンダ自動車のCMに出演したりもして知名度を上げた。一方、ザ・スペシャルズの方は当時のイギリスの不景気をヴィヴィッドに描写したこの曲が批評家から絶賛された上に、全英シングル・チャートでも1位に輝いた。

2. Tainted Love/Soft Cell

ソフト・セルの代表曲でシンセ・ポップの名曲として知られる「汚れなき愛」は、グロリア・ジョーンズのカバーであった。マーク・アーモンドの切なさを帯びたボーカルとシンセサウンドとが絶妙なマッチングを見せるこの曲はイギリスで1位になったのみならず、翌年にはアメリカでもロングヒットの末にトップ10にもランクインした。第二次ブリティッシュ・インベイジョンの初期の代表曲ともいえると思うのだが、それにはやはりこの年に開局した「MTV」がかなり影響したのではないかと思える。

1 Don’t You Want Me/Human League

この曲はこの年の全英シングル・チャートで年間1位だったので、日本でいうところの寺尾聰「ルビーの指環」ぐらいポピュラーだったということになるのだろうか。ちなみに、2位がソフト・セル「汚れなき愛」なので、シンセ・ポップは当時のイギリス人にとって、国民的な流行歌の類いだったのではないかと思える。当時、中学生だった私は全米シングル・チャートは追いかけていたのだが、全英の方はそれほどでもなく、何だか暗い感じの曲が多そうだな、ぐらいの印象しか持っていなかった。それが、1982年の夏にはいかにもイギリスのヒット曲っぽいこのヒューマン・リーグ「愛の残り火」がアメリカのシングル・チャートでも1位になってしまうのである。これ以降、デュラン・デュラン、カルチャー・クラブ、マイケル・ジャクソンなど、映像を重視したアーティストの曲が特にヒットするようにもなり、アメリカとイギリスのヒット・チャートの差は少しずつ小さくなっていったような気もする。それだけ、MTVの影響というのは大きかったのだろうか。

この曲に関していうと、初めはこのタイプの曲でそれまで好きなものが無かったのでよく分からなかったのだが、次第に好きになっていった。海外のアーティストの映像を紹介する番組といえば、当時、「MTV」はまだ日本に上陸していなかったが、テレビ朝日系の「ベストヒットUSA」がこの年から放送を開始していた。とはいえ、当時の私が住んでいた北海道では翌年までネットされなかったので観ることができず、わりと悔しい思いをしてはいたのだった。そして、やっとネットで放送が開始された「ベストヒットUSA」で年間チャートだか少し前のヒット曲だかでこの曲のビデオを初めて観たのだが、アメリカのアーティストのビデオとは違うどこか暗めの雰囲気に独特な魅力を感じた。曲も男女ボーカルで恋愛沙汰について歌っているようで、日本でよくある演歌のデュエットのようなものがこのようなサウンドとビジュアルでやられているのかもしれないと考えると、さらに興味が湧いてきた。

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