1981年とはどのような年だったのかということについての個人的な印象

日本のポップス史に残る名盤といわれている「A LONG VACATION」の発売40周年目にあたる2021年3月21日、大滝詠一の音楽作品のストリーミング配信が開始される予定になっている。当日にこのアルバムについての文章を上げる約束をしているのだが、それにあたって当時のことを調べたり思い出したりいろいろしていたのだった。それで、この作品についてのその前に、この作品がリリースされた1981年とはどのような時代だったのかについて振り返ってみるのも良いのではないかと思い立ち、その結果が今回である。

とはいえ、作品についてと同様、いや、それ以上にある年についての印象というものは人によって様々なのだろう。よって、けしてディフィニティヴと明確にいえるようなものはそれほど無くて、いろいろな人それぞれのものが集まってなんとなく像を結ぶとか、なんちゅうか本中華そんな気分なんです。

という訳で、ひじょうに個人的な記憶や印象に頼るところがひじょうに大きいものになるとは思うのだが、それと客観的なデータや資料などを仲よくケンカさせながら進めていきたい。とはいえ、いま引っ越しの絶賛準備中で素人がこんなものを持っていてどうするんだという類いの資料の数々はすでに段ボール箱の中である。急に決まったので、突然段ボールである。

さて、それではまず1曲目、お聴きいただきましょう。ザ・ぼんちで「恋のぼんちシート」。

人気漫才コンビ、ザ・ぼんちがこの年の元旦にリリースしたシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位のヒットを記録した。この前の年に漫才ブームが巻き起こり、それまでは中高年のための娯楽というような印象が強かった漫才がB&B、ザ・ぼんち、ツービート、島田紳助・松本竜介らの活躍によって、若者のためナウなエンターテインメントとなった。

このブームに便乗して、ある程度の人気がある漫才師なら何かしらレコードを出していたのではないかという感じもするのだが、ここまで売れたのはこの曲だけであろう。この曲を作詞・作曲したのは近田春夫で、編曲はムーンライダーズの鈴木慶一である。曲の中にザ・ぼんちのネタからの抜粋やギャグなどをふんだんに盛り込んだことによって、一般大衆のニーズとも合致したのではないかと思う。また、お正月の発売ということでお年玉を持っている子供や若者も多く、このようなタイプのレコードを買いやすい状況にあったこともヒットの要因なのではないだろうか。

このシングルが発売された1月1日の深夜には、ニッポン放送で「ビートたけしのオールナイトニッポン」が放送を開始した。漫才ブームの中でもビートたけしとビートきよしから成るツービートは「赤信号みんなで渡れば怖くない」というようなギャグに象徴されるようなブラックユーモアが持ち味であり、書籍「ツービートのわッ毒ガスだ」がベストセラーになるなど、大人や主に男性にウケていた印象がある。

「ビートたけしのオールナイトニッポン」はそんなブラックユーモアがフルに発揮され、実は生放送ではなく録音だった初回から、受験戦争のノイローゼで親を金属バットで殴ろうと思っている浪人生からの相談の電話に対し、ノリノリでアドバイスをするなどして物議を醸した。これもまあ実はいわゆるヤラせだった訳だが、当時の男子中学生は一気に食いついた。この番組の内容を本にした「ビートたけしの三国一の幸せ者」も発売されるやいなやベストセラーとなり、旭川の書店で買えるまでにはかなりの時間を要した記憶がある。

ビートたけしはこの番組中でザ・ぼんち「恋のぼんちシート」がパクリではないかという疑惑を取り上げるのだが、近田春夫があっさりと認めたためすぐに失速した。そして、ビートたけしもレコードを出すのだが、そのタイトルが「俺は絶対テクニシャン」といって、テクノポップ風である。B面はビートきよしの「茅場町の女」で、確か演歌だったような気がする。レコードそのものはツービート名義でリリースされていたと思う。この曲をヒットさせようとビートたけしは番組の中で様々な策を練るのだが、ハガキリクエストの組織票というのは序の口であり、街でビートたけしを見かけた場合、「有線」と声をかけたら電話代の10円を渡すのでそれで有線放送にリクエストをするように、などというくだらないものもあった。これについても、ホームレスが涙ぐみながら「有線」と言って手を差し出してきた、などというネタにしていたのであった。

当時は面白くて笑って聴いていたのだが、いま思うとあれはけして良くはなかったし、時代のせいにするだけではいけないのではないか、ということを考えたりもする。10歳ぐらい年下の人達の話を聞くと、彼らにとっては「電気グルーヴのオールナイトニッポン」がそのようなものだった、といわれることがあるような気がする。

それはそうとして、たとえこのようなキャンペーン的なものが成功したとしても、「俺は絶対テクニシャン」はそもそも、たとえば「ザ・ベストテン」で歌われるようなタイプの曲ではまったく無く、とにかく下ネタや不謹慎ネタのオンパレードである。ヘンリー・ミラーの「南回帰線」まで下ネタということにしているようなところに、ビートたけしのインテリジェンスを感じたりはしたが

では、お聴きください。ビートたけしで「俺は絶対テクニシャン」。

この前の年、オリコン年間アルバムランキングの1位はYMOことイエロー・マジック・オーケストラの「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」だった。これ以外にも、10位以内に3枚のアルバムがランクインしていた。社会現象といえるぐらいのテクノブームである。しかし、それが消費されるのもひじょうに速かったという印象がある。

最先端にカッコいいものであったテクノポップはこの時点ですでにパロディー化されていて、本家のYMOはよりコアでマニアックな音楽を追求していったように思える。

1981年3月21日といえば大滝詠一「A LONG VACATION」の発売日として知られるが、同じ日にYMOの「BGM」もリリースされていた。YMOのファンはもいちろん買ったし、そのより進化した音楽性を高く評価したように思えるが、ミーハーな層は離れていったようにも思え、オリコン年間アルバムランキングで記録されている売上枚数は「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」の4分の1ぐらいになっている。

「恋のぼんちシート」を作詞・作曲した近田春夫はこの年、ビブラトーンズというバンドと共に、「ミッドナイト・ピアニスト」というとてもカッコいいアルバムをリリースする。当時、それほど売れはしなかったのだが、都市に住む遊び人のライフスタイルを描写したポップ・ミュージックとして、ひじょうに貴重な作品なのではないかと個人的には思っている。このアルバムには「Soul Life」という曲が収録されていて、歌詞とタイトルを変えた「金曜日の天使」がシングルでリリースされてもいる。「Soul Life」の方はガラス空きのディスコティークが舞台であり、そこでは聴き飽きたテクノポップにウェイターがあくびを噛み殺して、時計を横目で見ていたりもする。

では、お聴きください。近田春夫&ビブラトーンズで「Soul Life」。

終電車が終わってしまったらもう始発を待つしかない、というとても当たり前だが深刻なことを歌っているのがとても良い。そして、私はこの曲を旭川の中学生として、あーなんだか都会っぽくて良いなーなどと思いながらアホみたいに聴いていたのであった。

田中康夫の小説「なんとなく、クリスタル」が出版されたのもこの年のこと。あんなのは文学ではない、などと大人の人達から叩かれたりもしていた。ブランドや店やアーティストの名前などに膨大な注釈が付けられていることからカタログ小説などと呼ばれたりもしたが、当時の若者の感覚を実はとても純文学的なアプローチで描写した素晴らしい作品であり、巻末に掲載された資料をも含めて、40年後の現在にもまた効いてくる部分もある。この本そのものを読んだのはもう少し後になってからだったが、マスコミなどでの態度から察して、これはおそらく正しいのではないかと何となく感じていた。

NHK-FMの「軽音楽をあなたに」を聴いていると、佐野元春のアルバム「Heart Beat」から何曲かがかかり、特に「NIGHT LIFE」がとても気に入った。この曲には「クレイジーナイト」という単語が何度か出てくるのだが、それを私は「クリスタルナイト」だと完全に勘違いしていた。田中康夫と佐野元春とではおそらく価値観的にひじょうに相容れないものがあるようには思えるのだが、当時の私にとっては共に都会のきらびやかな一面を夢見させてくれる表現をしている人という点では共通するところがあるように思えた。

「NIGHT LIFE」の主人公は週末に恋人と会うのだが、彼女のパパはちょっと厳しいらしく、どうやら決められた時刻までに帰らせなければいけないようである。それでも、二人で会って最も重要なことはもちろん行うのであり、「早く服をつけて 髪も整えたらタクシーで11時までに We gonna back home」となる訳である。しかも、「パーティーライトにシャンペングラス」の街においてである。東京に行けばこのような生活が送れるのだと、旭川の中学生は当時、激しく憧れたのであった。

それではお聴きください。佐野元春で「NIGHT LIFE」。

大滝詠一の「A LONG VACATION」は3月21日に発売されたのだが、その1曲目に収録され、シングルでもリリースされた「君は天然色」はラジオでもよくかかっていた印象がある。それまで大滝詠一にははっぴいえんどなど輝かしいキャリアがあった訳だが、当時の私は何も知らない。何だかよく分からないのだが、どうやらいろいろすごいらしい人の新作がやたらと通の人達から持て囃されているな、とそんな印象であった。

それでも、何だか爽やかで良いなとは感じたし、あのアルバムジャケットがそのうちレコード店でもひじょうに目立ちはじめ、あたかもおしゃれアイテムでもあるかのような雰囲気になっていった。

そうこうしているうちに、「A LONG VACATION」を大ヒットさせた大滝詠一が佐野元春、杉真理とナイアガラトライアングルというユニットでシングル「A面で恋をして」をリリースするというニュースが舞い込む。佐野元春の音楽がこの時点でかなり好きになっていた私としては、もちろん大興奮案件であり、その曲そのものもなかなか楽しいものであった。

そして、大滝詠一の勢いはとどまるところを知らず、デビュー2年目で人気絶頂のアイドル、松田聖子に「風立ちぬ」を提供するのであった。

それではお聴きください。松田聖子で「風立ちぬ」。

この曲が収録された松田聖子のアルバム「風立ちぬ」は何曲かを大滝詠一が作曲していて、実は「A LONG VACATION」収録曲と対になっていたりもする。つまり、裏「A LONG VACATION」としても楽しめるという訳である。

それはそうとして、この年の日本のヒットチャートを席巻していたのは松田聖子、田原俊彦、近藤真彦というアイドル歌手であった。70年代後半はニューミュージックが全盛で会った上に、歌謡ポップスでは大御所にまだまだ勢いがあり、新人にとっては受難の時代であった。しかし、80年代に入るとそれが少し変わっていって、その先陣を切ったのが80年デビューの松田聖子と田原俊彦であった。

また、この年最大のヒットといえば、寺尾聰の「ルビーの指環」であり「リフレクションズ」であろう。強い印象を残した上に、実際にオリコン年間ランキングでシングルとアルバムのそれぞれ1位である。つまり、圧倒的だったということができるのである。

それにしても、なぜあんなにも売れたのだろうか。都会の哀愁のようなものが、当時の我々の世代からすると中年ともいえる男性シンガーによって歌われている。やはり、これも都会や大人への憧れが全国的に広がっていたからではないのかと感じたりもする。

それではお聴きください。寺尾聰で「ルビーの指環」。

中学校の修学旅行は3年の5月ぐらいに行われたような気がするのだが、夜にはクラス対抗の演芸大会のようなものも行われた。そして、やはり寺尾聰の形態模写をする者もいたのであった。その夜、旅館の部屋のテレビをつけていると、まだ新番組だった「オレたちひょうきん族」が流れていた。

漫才ブームが浸透した要員の一つとして、フジテレビ「THE MANZAI」の意図的に都会的で若者向けな演出というのがあると思うのだが、後にそれらの多くがB&Bの島田洋七のアドバイスによるものだったと知り驚愕した。それはそうとして、「オレたちひょうきん族」は「THE MANZAI」とほとんど同じ制作スタッフによってつくられていたのではないかと思う。

そして、土曜の夜という一週間のうちでも最も気分が高まる時間において、最高のエンターテインメント、エンディングはEPOの「DOWN TOWN」であった。

この曲は1980年にリリースされたデビュー・シングルで、シュガー・ベイブのカバーだった訳だが、シュガー・ベイブなんて知らなかった私は、このEPOのバージョンで初めてこの曲を聴いた。それから、去年、「RIDE ON TIME」をヒットさせた山下達郎が昔やっていたバンドの曲のカバーなのか、というような理解をしていった。

EPOはこの番組のエンディングテーマのみならず、CM前のジングル的なものや人気コーナー「THE TAKECHAN MAN」のテーマソングまで歌っていたはずである。

しかし、一方でこの曲の中には個人的にドキッとするところもあった。80年代に入ってから、日本では軽くて明るい性格であることがひじょうに重要視されるようになったようなところがあり、重くて暗いのはダメというような風潮が確かにあったように思える。ご存じのように私のような者は当然、根が暗い訳だが、当時はそれを隠して明るさを装うことに必死であった。実は暗い性格なのだと見破られることを、何よりも怖れていたといっても過言ではない。そういった訳で、この曲に出てくる「暗い気持ちさえ」というところにはいつもドキドキしていたのだった。

それでは、お聴きください。EPOで「DOWN TOWN」。

といったところが、私の1981年についてのざっくりとした印象ではあるのだが、まだまだ漏れているところが多々あることは明白である上に、曲でいうならば(なぜか謎のラジオ風味に意図せずなってしまった訳だが)洋楽をまったくかけていない(いや、実際には貼っただけだけれども)。という訳で、「朝まで生テレビ!」の田原総一朗のごとく、このテーマでまたやりましょう、といずれなるのかもしれないが、今日のところはこういったところである。

それでは、最後にこの曲でお別れしましょう。グローヴァー・ワシントンJr.で「Just The Two Of Us」(「クリスタルの恋人たち」)。

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