aiko「どうしたって伝えられないから」について

3月3日は有楽町で仕事があったのだが、それから家に帰るために東京メトロ有楽町線に乗って、永田町で半蔵門線に乗り換えて渋谷で降りたのだが、何だか駅の中の様子が大きく変わっていて、とりあえず井の頭線に乗り換えなければいけないので適当な出口から出たところ、なんだかよく分からない場所に出てしまった。まさか自分が渋谷駅の乗り換えで迷うなんて、としばし茫然としたのだがとにかく早く帰りたかったので適当に歩いているとタワーレコードの後姿が見えて、さらに結構、歩かなければいけないじゃないかと、暗澹たる思いにさせられたのであった。それで、タワーレコードの前を通った時にaikoのアルバムを告知するディスプレイがあって、発売日が3月3日となっていたので、今日だったのかと感じた次第である。

90年代のある時期から日本のポップ・ミュージックというかポップ・カルチャーそのものと意図的に距離を置いていた時期があって、それは一方的に私の方の問題ではあったのだが、それでごく一部の特に好きなアーティスト以外の音楽はほとんど聴かなくなった。そして、98年の6月ぐらいから仕事で必然的に売れている日本のポップスを知らなければいけなくなり、「COUNT DOWN TV」を観たりオリコンのランキングを熟読したりすることによって学習していくことになる。その翌年にaikoの「花火」や「カブトムシ」がヒットしたのだった。

それからずっと、J-POPのメジャーなアーティストの一人という認識はもちろんあったのだが、それを超えた個人的な趣味嗜好という範疇まではいかず、なんと20年ぐらいの月日が経ち、その間もaikoはずっと日本のポップ・ミュージックシーンの第一線にいたのであった。

2020年のはじめ頃、岡山出身のモデル/タレント、まつきりなのYouTubeチャンネルが好きでよく観ていたのだが、aikoの熱烈なファンということで、熱く語ったりもしていた。また、ほぼ同じ頃に「ロッキング・オン」「SNOOZER」といった雑誌の編集もされていた田中宗一郎が三原勇希とやっているポッドキャストがとても面白くて、毎週、楽しく聴いていたのだが、その過程で田中宗一郎がaikoをかなり推していることを知る。あまりちゃんと聴いたことはないが、aikoというのは実はかなりすごいアーティストなのではないか、というようなイメージが自分の中で生まれつつあったタイミングでストリーミング配信が解禁され、興味本位で聴いてみたところすさまじく良かった、という感じであった。

その時に最新シングルとして配信されたのが「青空」で、なんだかシティ・ポップリバイバルに対応していなくもないな、という感じも受け、アレンジがとても良いなと感じたのだが、歌詞の内容もとても良かった。いわゆる失恋ソングということになるのだが、その表現が言葉として生々しい上にポップというか、なんだかドロドロとした情念のようなものであるのかもしれないが、それがとてもキャッチーに処理されていて、結果的に前向きという、そこがとても良いな、と感じた。

それから、シングル「ハニーメモリー」が発表されるのだが、これもまた失ってしまった過去の恋愛に対する後悔だとか未練のようなものが感じられる内容で、最近の作風はそういったモードなのかな、と感じたりもした。年が明けて2021年になり、アルバムに先がけ「磁石」が先行で配信された。「青空」は昨年リリースされたすべてのポップ・ソングの中でも個人的にかなり好きな方で、ひじょうに気に入っているのだけれども、新曲の「磁石」が配信されたからといって勢いよく飛びついて貪るように聴く、というフェイズではないのだな、と認識した。それで、この「磁石」は今回、アルバムを通して聴く流れで初めて聴いたのだが、いや、これもすさまじい。

好きな人との関係を磁石にたとえている歌詞も絶妙に素晴らしいのだが、楽曲がニュー・ウェイヴ的ともいえるギターのリフを主体としたもので、aikoの楽曲としてはかなり新しいのではないかとも感じるのだが、あの心地よいにも程があるボーカルの記名性がすさまじいため、何を歌ってもaiko節となり、その斬新さにあまり気づかないという。

それで、いまこれを書いている時点で初めて聴いてから約6日になるわけだが、聴く度に良いなと感じて、いまだにその全体像を言葉で説明する自信がまったく無い、という状況である。それでも、この時点で何かしら記録はしておきたいな、と思ってこれを書いているところである。

まず、先ほども書いたようにaikoのボーカルというのはひじょうに心地よく、さらにメロディーもアメリカンポップスとかジャズとかカントリーとか、おそらくいろいろなものから影響を受けていて、いうなればグッド・ミュージックということに尽きるわけである。最もリスペクトするアーティストがKANであり、ビリー・ジョエルなども好きというところに、なるほどと感じざるをえない。たとえばリッキー・リー・ジョーンズだとか、最近だとテイラー・スウィフトとか、そういうグッド・ミュージックをやる女性シンガー・ソングライターの作品とひじょうに近い楽しみ方ができるアーティストだと感じる。

その上、恋愛の様々なフェイズにおける心情の機微のようなものをとらえる技術がものすごく、感嘆しながらも共感してしまうレベルなのである。恋愛の教祖的な女性シンガー・ソングライターというのはこれまでも数多いて、それもひじょうに素晴らしいのだが、薄汚れた成人男性というか中高年としてはいま一つ共感する資質に欠けるというか、それでも仕方がないというところもあって当然なのだが、aikoの作品で描かれている恋愛というのは、もちろん女性目線のものがほとんどではあるのだが、それでもこれは分かるような気がするとか、いや、これは本当にたまらんなとか、あの感情のことをこのように表現することができるのか、とか感じさせられるところも多く、音楽的なレベルもひじょうに高いと思えるので、もしかすると現在の日本におけるキャロル・キングだとかジョニ・ミッチェルにも匹敵するぐらいの存在なのではないか、などと感じたりもしているのである。

そんなことはまあ良いのだが、このアルバムからaikoはセルフプロデュースを行っているらしく、個人的にはそれがより好みの方向性に向かっていっているので喜ばしい限りである。

1曲目は「ばいばーーい」というタイトルで、これだけ見るとものすごく軽い。ポップである。しかし、実際の内容はひじょうに重い。アルバムを再生して、最初の歌詞が「ねえ 合鍵も返さないで何してるの?」である。愛する、あるいはかつて愛した人との別れというものはもちろん個人差はあるのだろうが、なかなか一大事であり、様々な感情が溢れだすものだが、それをこの曲においてaikoはすさまじい熱量で表現していて、それでいて聴き心地的にはグッド・ミュージックだし、最終的に前向きにまとめている点など天才ではないかと感じてしまう。

ところで、アルバムの1曲目からこれでリスナーとしての私が大丈夫だろうかと心配にはなるのだが、次の「メロンソーダ」が出身地である大阪のFM局のキャンペーンソングとして作った曲のセルフカバーということで、これはかなりキャッチーでご機嫌。曲順もかなり計算されているのだろうな、と考えさせられたりもする。それで、「シャワーとコンセント」という何だか不思議な感覚の曲なのだが、恋人がシャワーを浴びている間に恋の終わりを予感するという、何だか着眼点がすごいことがナチュラルに表現されていて、しかもなんとなく分かるような気がするという、おそらく音楽的に優れていると同時に、こういう感覚にも人並外れたところがあり、やはりきっとものすごいアーティストなのだろうな、ということは感じさせられる。

「愛で僕は」はタイトルからも分かるように、男目線の曲なのだが、実はこれの前の「シャワーとコンセント」もそうである。aikoはもちろん女性としてそれ相応の人生を生きてきている訳であり、このご時世、あまり男らしさだとか女らしさだとかいうようなことを強調するのもどうかという話はもちろんあるし、私もそういった立場を主に取るものではあるが、その上であえて男性目線で表現することの必然性はあったのだろうし、それはおそらくなりきって書いたというよりは、自分自身の中にあるその部分を発動したというところなのだろう。そこには、おそらく潜在的な理想像というのも投影されているような気はする。

それにしても、この「愛で僕は」というのは本当に幸せな曲で、「よくある幸せなんてどこにもない」の次に来るフレーズが、「君は僕の全てだ 特別だ」なのである。そしてこの曲、アレンジもとても良くて、心をグッとつかまれる。

それから、「ハニーメモリー」「青空」と先行シングル2連発で、やはり強力ではあるのだが、アルバム全体がとても良い曲ばかりなので、突出してここだけが特別に良いという感じもそれほどなく、良い感じで(アルバムにおける)役割を果たしているという印象である。

それにしても、「青空」はやはり名曲だなと改めて感じる。愛していた人を失ったことを表現する歌詞が「体を脱いでしまいたいほど 苦しくて悲しい」である。かと思えば、「なんだよあんなに好きだったのに 一緒にいる時髪の毛とか凄い気にしていたのに恋が終わった」というような、身も蓋も無いほどストレートなのだが、やはりこうでなければ表現できない何かというものを強烈に感じる。あとは、もうとっくに薬指の指輪なんていうものは外してしまったのだが、服を脱ぐ時に気にしてしまう癖がなかなか抜けないとか、もうヤバすぎるのではないか。そして、このような想いを、グッド・ミュージックとしか言いようがなく、しかもシティ・ポップみも帯びた極上のサウンドとボーカルで聴かせるという素晴らしさである。

それで、「磁石」については先ほども書いたように、ニュー・ウェイヴ的にも感じられるギターリフが重要な役割を果たしているようにも思われるが、aikoが歌いさえすればそれ以外の何ものでもない。こういうのを聴くと、aikoの音楽というのは日本においてものすごくポピュラーではあるけれども、まだまだ届くべき人に届いてはいない、というようなところもあるのではないか、などと感じたりもする。

「しらふの夢」には絶妙なエロスも感じられて、そこがまたたまらなく良い。「しらふの夢」のようなものをずっと見ていられたらいいよな、いうことを感じたりもする。もちろんそんな訳にはなかなかいかないのだけれども、いろいろと本質的なことが歌われているのかもしれないな、このアルバムでは、というような気もする。「片想い」はとてもシンプルなアレンジの曲だが、これですら深いのだ。軽いタッチで表現されているし、サラッと聴けるのだけれども、とても本質的なことが歌われていている。まあ、付き合っていても片想いのような気持ちで、それもすでに終わってしまったということなのだが、それをこのレベルで表現することができて、それでこんなふうに感じさせてしまうのか、という気持ちでいっぱいである。

「No.7」は好きな人と一緒に生活をしているとても幸せな状態について歌われているのだが、このアルバムの流れで聴いていると、これもいつ終わるとも知れぬものなのであり、だからこそ尊く大切なものなのだ、というようにも響いてくる。それはさておき、明け方におそらく仕事か何かに出かけていく恋人を寝たふりをしながら見送り、その後でそれまで恋人が寝ていた毛布の中に足を入れるとか、もう本当にたまらなく良いな、というぐらいの感想しか出てこない素晴らしさ。

かと思えば、次が「一人暮らし」で一気に切なさ加速モードである。洗濯というひじょうに日常的な行為の中で、感じる様々な事柄、これも実は内容はわりと重たくもあるのだが、やはりグッド・ミュージックなのでそれがすごい。

このアルバムは13曲入りで、約1時間2分、最近のアルバムとしてはかなりボリュームがあるようにも思える。しかし、冗長な印象はまったくなく、サービス満点という感じである。

そして、ラスト2曲は「Last」「いつもいる」で、日常にある様々な事柄というのはひじょうに移ろいやすく不確かであり、いとも簡単に失われてしまうものではあるのだが、それでも求めずにはいられないものについて歌われていて、それこそがわれわれにとって本質的な生きる目的なのではないか、と感じさせられたりもする。

「どうしたって伝えられないから」というタイトルのこのアルバムには、伝えることはなかなか難しいのだが、それでも伝えずにはいられないというような強い想いが、上質なポップ・ミュージックとしてたっぷりと詰め込まれているように感じる。たとえば、日本のロック&ポップス名盤リストのようなものにaikoの作品が挙がっているのはなかなか見かけないのだが、個人的にはものすごくユニークで才能に溢れたアーティストだと思うし、人々の日常生活を少しだけ豊かにするという、社会におけるポップ・ミュージックの役割の一つをひじょうに高いレベルで果たしているように思える。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。