「ロックは死んだ」という言い回しについての個人的な見解のようなものについて。

Twitterのタイムラインをいい加減に見ていたところ、ここ最近、「ロックは死んだ」というような言い回しがうっすらと関心を呼んでいるようにも思える。個人的には人が言っている趣味に関しての意見だと思われるので、それほど激しく心を揺さぶられるようなこともないし、どうでもいいといえばどうでもいいのだが、だる絡みであることを自覚した上での(自覚していないそれはマジでもう最悪)だる絡み的なことをだらだらと書いていき、飽きてきた時点で急にトーンダウンして止めるという毎度おなじみのパティーン(女子中高生ケータイ流行語大賞2011で11位になった語)である。

さて、「ロックは死んだ」という言い回しに対してのベーシックな感想は、「何をいまさら」と「死んでいないでしょ」という、一見すると矛盾し合っているかのような二つに尽きる。これは、個人的に一時期、「ロックは死んだ」的なことを感じてはいたのだが、結局のところ死んでいなかったことが確認され、現在はおそらく死なないのではないだろうかと感じている、というプロセスを経てきたこととも関係があるのだろう。

念のため、ロックとはポップ・ミュージックの一つのジャンルであり、特に生命体というわけではないので、生きているとか死んだというのはもちろん比喩である。「〇〇は死んだ」という言い回しでわりとポピュラーだと思われるのが、哲学者、ニーチェの「神は死んだ」で、最も分かりやすくそれについて書かれた文章が載っている「悦ばしき知識」が発表されたのは1882年である。つまり、かなり大昔ということになり、現在、「神は死んだ」と思われがちな一方で、様々な神々が信仰され続けているという現状もある。

「ロックは死んだ」という言い回しは随分と以前からあるように思えるのだが、私が初めて知ったのはセックス・ピストルズのボーカリストだったジョニー・ロットン改めジョン・ライドンが言ったとされるものなのだが、原典にあたった訳でもないので信憑性は定かではない。ジョン・ライドンといえば、ドナルド・トランプ元アメリカ大統領への支持を表明していたことが記憶に新しく、個人的にはしょうもないという印象である。セックス・ピストルズやPILことパブリック・イメージ・リミテッドの音楽はいまでも大好きだけれども。

あとは、パンク/ニュー・ウェイヴ時代に登場したイギリスのポスト・パンク・バンド、ワイヤーの人が「ロックでなければ何でもいい」というようなことを言っていたのもわりと有名なのではないだろうか。ワイヤーの音楽というのは、ヒップホップとR&Bとカントリーとロックのうちどれに近いかというと、明らかにロックである。それでも、ここでいわれているロックというのは権威化した旧態依然のスタイルを持つそれのことだと思われる。

ロックの王様といえばエルヴィス・プレスリーだが、昔は歌いながら腰を振るアクションが卑猥だとされ、テレビに上半身しか映されなかったというような話をロック史的な書籍だか雑誌の記事だかで読んだことがある。あと、映画「暴力教室」など、ロックとは大人に対する反逆の音楽というか、そういった側面はあったのだと思う。それがちょっと無難な感じになったりもするのだが、ビートルズの長髪がエスタブリッシュメントに対する反抗だと捉えらていたとかもロック史的な本だか雑誌の記事だかを読んで知ったと思うのだが、写真を見ても一体これのどこが長髪なのだと思うようなレベルのものであり、やはりリアルタイムでなければ分からないこともいろいろあるのだろうと感じた。

60年代にはボブ・ディランなどのフォーク・シンガーが反政権的な内容の曲を歌ったりして、そういう曲のことをプロテストソングなどと呼ぶようになったようだ。80年代に佐野元春の音楽をどちらかというと、シティ・ポップ的な都会的なキラキラしたイメージに魅かれて好きになったのだが、ラジオを聴いたりインタヴューを読んだりすると、ロックとは権力に対する異議申し立てなのだとかそういったことも言っていた。それで、なるほどそういうものなのか、などと感じるには感じたのだが心底理解はしていなかったと思う。「宝島」などを読むと、70年代のいろいろ懐かしいことなどが書かれていたのだが、ヒッピーだとか反戦フォークだとか学生運動だとか、日本にも若者たちが熱かった時期があったのだな、ということを学んだ。そういうものがかつてあったのだと認識はしたのだが、それをうらやましいと感じたり逆に嫌悪感を覚えたりするようなことはなく、そういうのがあったのだ、と感じただけであった。

80年代にイギリスのアーティストに好きな人達が多く、「ロッキング・オン」でインタヴューを読んでいると、サッチャー政権に対する批判がよく出ていたのだった。国の首相に対してこれだけ怒りを感じるというのが一体どういうことなのかが、まったく分からなかったのだが、それから30年ぐらい経って、なるほどそういうことだったのかと完全に理解できたのであった。

80年代前半の話だが、日本でロックといった場合、RCサクセションとかサザンオールスターズのことは思い浮かんだのだが、だいたいは歌謡曲かニューミュージックのようなものであり、ロックといえば内田裕也とかヒットチャートとはそれほど関係がない、一部の人達が好んでいるものという印象があった。アナーキーとかスターリンとかのパンクバンドとか、もっとアンダーグラウンドな人達などは実際に活動をし、後世に影響を与えてもいた訳だが、一般大衆レベルではほとんど認識されていなかったのではないか。

「昭和40年男」という雑誌が1978年を日本のロック元年とする、はっぴいえんど史観どころの騒ぎではない暴論的な特集を組み、スピッツの草野マサムネが自身のラジオ番組でそれに連動するようなこともやっていた。そこでかかったのは、世良公則&ツイストなどだったのだが、つまりこの雑誌の読者層である昭和40年前後生まれの人々にとって、「ザ・ベストテン」に世良公則&ツイストなどが登場した1978年辺りが初めてロックを認識した時代なのだと、そういうことだったのではないだろうか。ほぼ同年代の私の感覚からいっても、その論にはそれほど違和感はない。

RCサクセションが「Rockはもう卒業だと あいつは髪を切るのさ」と歌ったのは1983年の「ベイビー!逃げるんだ。」で、この曲は三菱自動車のCMソングでもあった。タイトルと同じCMのコピーは糸井重里が書いたものである。糸井重里といえば法政大学の学生だった頃には学生運動に参加していたらしいが、現在では一般的な国民が政治的な発言をしたり意見を持つことに対し、異常なほどの嫌悪感を持っているようだ。80年代には自身が司会を務めるテレビ番組「YOU」にRCサクセションを呼んでライブを放送したりもするなど、ひじょうに親しげではあったのだが、忌野清志郎やRCサクセションの反権力的な側面に対しては嫌悪感をいだいていたようだ。

「無難なロックじゃ楽しくない」と岡村靖幸が歌った「どぉなっちゃってんだよ」がリリースされたのは1990年だが、当時はバンドブームがひじょうに盛り上がっていて、それを促進した要素の一つとされていたのがTBSテレビ系で土曜の深夜に放送されていた「三宅裕司のいかすバンド天国」である。この番組にはロックだけではなく、様々なジャンルの音楽をやるバンドが出演していた印象があるが、一度、審査員の萩原健太が従来のロックはもう新しいものを生み出さないというようなニュアンスの発言をしたことがあり、同じく審査員として出演していた吉田建と伊藤銀次が明らかに不機嫌そうにしていたことがあった。

しかし、それは当時、「ミュージック・マガジン」あたりを愛読していた日本の音楽ファンの間ではある程度、共通する認識でもあったのではないか。当時の日本の音楽ファンには、洋楽を聴く場合に歌詞の意味やその背景などを重視せずに、サウンドの新しさのようなものに重点を置いて聴くという人達も少なくはなかった。よって、たとえば80年代後半において、ロックは古くて時代遅れであり、ヒップホップとかハウス・ミュージックとかワールド・ミュージックこそが新しくていま聴く価値があるのだ、というような風潮は確かにあった。それで、1989年にザ・ストーン・ローゼズのデビュー・アルバムがリリースされても、60年代のバーズなどの焼き回しでまったく面白くない、そこへいくとやはりローリング・ストーンズの新作は最高で、これぞロックの真髄というような感じではあったような気がする。そして、私もそのような聴き方をしていた。

当時、パブリック・エナミーのサウンドとしての斬新さや歌詞に込められたプロテスト的な要素などに、これこそがロックの最新型ではないかと入れ込んでいて、もうロックの時代は終わったのだと当の私自身がわりと真剣に考えていた。日本でヒップホップといえば、近田春夫がPRESIDENT B.P.M.名義で12インチ・シングル「MASSCOMMUNICATION BREAKDOWN」をリリースしたのが1986年で、その次のシングルとなる「NASU-KYURI」のB面には高木完と藤原ヒロシによるTINNIE PUNXの「I LUV GOT THE GROOVE」が収録されていた。

ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツのヒットで知られる「アイ・ラヴ・ロックンロール」をサンプリングして、ロックンロールはもはやロックではなく、ヒップホップこそが新しいロックなのだと言わんばかりの内容であり、「もはやこれまでロックンロール」というフレーズが印象的であった。

「ロックは死んだ」わけではないと思い知らされたのは、1991年にリリースされたニルヴァーナ「ネヴァーマインド」とティーンエイジ・ファンクラブ「バンドワゴネスク」によるところが個人的にはひじょうに大きい。「ネヴァーマインド」はまさに時代を変える音だった訳で、その過程は実に痛快であった。そして、当時、フリッパーズ・ギターを好む何人かの自分よりも若い音楽ファンとの出会いがあり、彼らのポップ・ミュージックとの接し方というのが、「ミュージック・マガジン」のようにサウンドが新しいかどうかというような批評家的なものではなくて、単純に良いと感じるかどうかであるというところがわりと衝撃的であり、そっちの方が楽しそうだと感じたのであった(というのは表向きの理由で、その中に好きな女の子がいたというだけのことである、正味の話)。そうすると、「バンドワゴネスク」の良さがみるみる分かった、ということである。

このような経緯はあったので、ロックはあたかも死んだかのように見えて、実は死んでいなかったということを繰り返してはきたし、今後も繰り返していくのではないかというような気がなんとなくしている。

それと、時代のメインストリームではなかったとしても、別に死んではいないということもある。あとはたとえばボブ・ディランやセックス・ピストルズ的な権力に対する異議申し立てな姿勢をロックと呼ぶならば、ヒップホップのアーティストにそういう人達はいるし、カウンターカルチャー的なロックの時代における反戦のような同時代的なトピックといえば、ジェンダーや環境についてのものだともいえる。アリアナ・グランデやビヨンセといったポップスやR&Bのアーティスト達がそういったイシューに対して意識的であったり、The 1975が最新アルバムの冒頭にグレタ・トゥーンベリのスピーチを収録したり、そういったこともいろいろとある。

個人的にもロックを聴く割合というのはピーク時と比べるとかなり減っているとも思われ、その分、メインストリームのヒット作やベッドルーム・ポップなどと呼ばれるものを聴く機会が増えたように思える。単純にそういったジャンルに自分が面白いと感じるものが増えてきたから、という理由が大きい。私は総じて演奏や歌唱のテクニック的なものよりもアイデアやセンスを重視しがちなリスナーではあると自覚しているのだが、かつてならばテクニックはさておき、とにかく作品を発表したいと思った場合に最も手っ取り早いのがギターを弾いて歌ったりバンドを組んで演奏したりすることだったかもしれないのだが、テクノロジーの進化などによって、いまやそれはiPhoneにインストールされているGatageBandなどのソフトで楽曲を作ることなのかもしれない。それによって、ロックよりもポップスに面白いものが増えたということもいえるかもしれない。

などといろいろと取りとめのないことを書いてはきたのだが、結論として「ロックは死んだ」という言い回しををこれまでに何度も聞いてきて、自分でも本当にそうなのではないかと思ったこともあったが結局のところ死んではいなく、これからも生き延びていくのではないかということと、法律で禁止されるとかではない限りは自分が好きなロックをこれからも聴き続けていけるのであり、そうだとすればどうでもいいということに尽きるかな、という感じではある。

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