加納エミリ「EMIRI KANOU – BIRTHDAY PARTY<振替公演>」について。

数週間前の日曜日に新宿の催事の準備を一人で泣きながらやっていたところ、平日でどこか代休を取るようにいわれたため、渡りに船とばかりに紀伊國屋書店地下のらーめん専門店ぶぶかで黒丸油そばを待っている間にイープラスで「EMIRI KANOU – BIRTHDAY PARTY <振替公演>」のチケットを購入したのであった。残りわずかとなっていたし、結果的に完売したようなので危ないところであった。

「EMIRI KANOU – BIRTHDAY PARTY <振替公演>」というのは、加納エミリの誕生日をお祝いするパーティーであるのと同時に、元々は昨年に予定されていたのだが新型コロナウィルスのパンデミックによって延期されていたワンマンライブの振替公演でもある。というような感じだとは思うのだが、合っているのだろうか。

まあそれはそうとして、新型コロナウィルスの感染拡大は全力で防止しなければいけないため、その対策は当然の助動詞「べし」で取るような必要があるのだが、それらを全て行った上で、実現にこぎつけた関係者の努力には頭が下がる思いである。そして、新型コロナウィルスの状況は引き続き深刻であるため、この後はまたライブが行われない可能性はひじょうに高いということである。

加納エミリがどのようなアーティストなのかを知らない人に説明することはひじょうに難しい。私もなんとなくSNSなどでよく名前を見かけるなと思ってはいたものの、ほとんどよく知らなかった時期というのはわりと長くて、興味本位で聴くやいなや(as soon as)これはかなり良いのではないか、となったのはほんの2019年の秋頃、1stアルバムの「GREENPOP」がリリースされる直前のことである。

当時は「NEO・エレポップ・ガール」というキャッチフレーズのようなものが付いてもいて、音楽性も80年代のエレ・ポップに強い影響を受けたものであった。日本のアイドル文化というのも成熟というか爛熟しているようなところもあり、テクノポップとかヘビーメタルとかシティ・ポップとか特定のサブジャンルに特化したグループやユニットや個人というのも珍しくはなく、それのエレポップ版か、程度の認識だったのだが、聴いてみるとものすごく良い。

こういう80年代のポップスなどに影響を受けた音楽だと、趣味性がトゥーマッチになった時点で曲を書いたりプロデュースをしている大人の腐臭のようなものが漂ってきて、個人的にはあまり好みではなくなるものも少なくはない。ところが、この音楽にそれは無いなと不思議に感じた。聞いたところ作詞・作曲だけではなくサウンド・プロデュースも自身でやっているということで納得がいった。これらの音楽が流行っていた頃に若者だった大人達が趣味性たっぷりにやっている訳ではなく、これらの音楽をリアルタイムでは知らない世代のアーティストが主体的な興味や関心でその要素を取り入れ、まったく新しい感覚で解釈し直されているのだろう。私が最初に気に入った曲が、後から知ったところによると実は本人の自作曲ではなかったというようなこともあるにはあったのだが。

そういった訳でサウンドがエレ・ポップや80年代のディスコ・ポップなどからの影響を感じさせはするのだが感覚は新しく、懐古趣味的ではまったくない。ここがまず魅力的なのと、メロディーがとても良い。それから、歌詞もまた然りである。そして、個人的に何よりも良いと感じるのがボーカルである。表面的にはドライでクールなのだが、人間的でエモーショナルなところも絶妙にあり、そのバランスがたまらなく良いと感じたのであった。

翌年、本人が来るかどうかは分からないのだがゆかりのある人達がDJをやるというイベントがあり、当日の午後に知ったのだが、たまたま行けたので行ってみると、本人もちゃんといたばかりか、最後に何曲かライブもあった。パフォーマンスを生で観るのはその時が初めてだったのだが、楽曲の完成度が高い上によく分からないのだが中毒性がある振り付けのようなものも付いていたりして、これはエンターテインメントとしてかなり良いのではないかと感じた。

そして、2020年には新曲「朝になれ」が発表されるのだが、この前にいろいろなことがあり、一時的に活動を休止し、出身地の北海道札幌市に帰っていたりもした。この辺りのことについてはまったく詳しくはないのだが、発表された新曲の「朝になれ」がとにかくすさまじく良く、こことは別の場所で勝手に発表した個人的な年間ベスト・ソングではダントツで1位に輝いたのであった(誰が興味あんねん)。

それまでのエレポップ的なサウンドとは異なり、80年代のR&Bなどに影響を受けたように思えるところもあるが、だからといってそれとそっくりなことをやっているという訳でもない。そして、おそらく個人的な失恋の後のダメ状態というようなものをテーマにしているようには思えるのだが、結果的に新型コロナウィルス禍における祈りの歌という風に読み解くことも可能、というようなことにもなっていった。

そして、自身がザ・ウィークエンドとかデュア・リパとかBLACKPINKとか、メインストリームでメジャーに売れている同時代のポップスをちゃんと気に入っていて、サブスクリプションサービスに対する考え方などもひじょうに健全で、アンダーグラウンドなインディー体質やマイナー志向におかされていないところがとても良い。

というような印象を持っているアーティストなので、本当に久しぶりに行くライブに選ぶには相応しいということができる。あと、その前にジャンルなのだが、やはり本当に難しい。アイドルポップス的な側面もあり、受け入れられ方もそれに近いところがあるような気もするが、それよりはかなりアーティスティックである。しかし、シティ・ポップやR&Bのような良い感じの曲を歌っているタイプともまた違い、それにしてはいろいろとユニークなところが多すぎる。カテゴライズすることがひじょうに困難なアーティストだということに、改めて気づかされる。しかし、そのなんだかよく分からないけれどとても良い、という感じこそがこのアーティストの魅力の真髄なのかもしれない、と思ったりもする。

それはそうとして、会場は渋谷のWWW、PARCOのすぐそばで、かつてはミニシアターのシネマライズだった場所である。「トレインスポッティング」「アメリ」などをここで観たことが思い出される。それはそうとして、17時30分からの開場にもかかわらず、11時30分にはすでに渋谷に着いていた。いくら楽しみにしていたとはいえ、これはあまりにも酷すぎる。WHY@DOLLがかつて推していたらーめん風来居は、いつの間にか中華そばコヨシになっていたのだ。「produced by 風来居」と書かれてもいたので関係あるとは思うのだが、以前は店主が修行をしたという旭川の有名店、山頭火の流れを感じさせるラーメン店だったが、現在はどうやら背脂ラーメンなどを提供するタイプの店になっているようだった。

加納エミリは札幌出身のアーティストなので、ランチには札幌っぽいものを何か食べようかと思っていたのだが、90年代にタワーレコードやWAVEやHMVがあった場所などを巡っているうちになんだかノスタルジーな気分になり、当時、付き合っていた女子大学生とよく行っていた店に入ることにした。数年前、20年以上ぶりに行った時にはまだ当時と同じモボ・モガという店名だったような気がするのだが、今回、行ってみるとMOGA Cafeになっていた。彼女は私と一緒に行くために1994年の9月にクラブクアトロで行われたオアシス初来日公演のチケットを取ってくれていたのだが、その前に別れて別の女性と付き合いはじめてしまった。それでもせっかくにチケットを取ったので、オアシスのライブには一緒に行った。そんなほろ苦い記憶を思い出しながら、デミキノコハンバーグを食べていると、突然、店内でオアシスの「リヴ・フォーエヴァー」がかかり、わりと本気で驚いたのだった。

それにしても、時間がありすぎる。渋谷のいろいろなところを散々歩いているうちに、渋谷PARCOに松尾ジンギスカンがあることを知った。これぞ札幌らしい食べ物ではないか。しかし、もうすでにランチは済ませていたし、事前にここのことを知っていたとすれば、あのMOGA Cafeでの「リヴ・フォーエヴァー」体験は無かったわけである。そうこうしているうちに開場がはじまり、WWWというライブハウスに入った。ドリンクにスミノフレモンが入っていたのが、とても良かった。

チケットは完売していたこともあり、客はすでにかなり入っていたので、2階の方の最後列、しかし真ん中というなかなか理想的なポジションを確保。ステージ上にドラムセットやキーボードなど楽器がセッティングされている。それだけで、本当にこれからライブ演奏が久々に体験できるのだな、とわくわくした気分になっていった。それで、かかっている音楽がやはりザ・ウィークエンドだとかデュア・リパとかの最新のやつで、これはおそらく本人が好きで選んでいるのだが、日本のポップスのガラパゴス化を一概に良くないとは言い切らない立場を私は取ってもいるものではあるが、やはり世界のメインストリームのヒットポップスをしっかりと視野に入れているアーティストというのは、やはり貴重だと思うのである。

そして、ライブがはじまったのだが、バンド編成はドラムス、ベース、ギター、キーボード、ボーカルという、わりと典型的なタイプであり、これまでに有料無観客配信ライブで観たこともあった。それがとても良かったので、実際にライブにも来たいと思ったところもある。このうち、ドラムス、キーボード、ボーカルが女性でベース、ギターが男性というバランスもとても良い。キーボードがとにかくすごくて、アナログシンセ的だったりピアノのようだったり、様々な音色や演奏スタイルを楽曲ごとに(場合によっては楽曲の中でも)使い分け、大活躍しているように思えた。他の演奏陣も素晴らしい。

加納エミリのボーカルだが、やはり安定感がある上に、エモーショナルになるところはしっかりなるので、それがやたらと伝わりまくる。途中でフェイク気味になるところか、曲終わりで「ありがとう」とさり気なく言う感じなども実にカッコいい。MCで〇月〇日と日付を言うところなど、北海道民のイントネーションになっていて、そこも懐かしさや親しみが感じられて、個人的にはとても良かった。

曲もいろいろなタイプがあるのだが、加納エミリのポップ感覚というところでの記名性があるため取っ散らかった感じにはならず、バラエティーにとんでいるという好印象である。振り付けはやはり独特で中毒性があり、観ていてひじょうに楽しい。曲によって一部、客が振り付けをコピーして一緒にやるようなところがあるのだが、WHY@DOLL育ち(実質的には一年ぐらいしかライブに行っていないが)なので、全く問題なく対応可能である。それをやっていると、「ありがとう」と言ってくれたり、「OK」のサインを指で作ってくれたりもするのでやりがいがある(子供か)。

いや、これは本当に良いライブだ。最初の衣装はスカートがライトなどで透けてシルエットが見えるようなタイプのものでこれがまたとても良かったのだが、途中から白一色のものになり、これも「時計じかけのオレンジ」というかブラー「ユニヴァーサル」のミュージックビデオというか、そういったセンスを感じたりもして、かなり良いなと思いながら観ていた。あと、これはもっと前に書いておくべきだったのだが、映像や照明の効果がとても良くて、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドだとかピンク・フロイドだとかの昔のライブだとを彷彿させられたりもした。

そして、こういうポップでキャッチーな楽曲をニュー・ウェイヴ感覚でやっているバンドという形態もひじょうに面白くて、たとえばこれはブロンディとかに近い快感なのではないか、と感じたりもした。ブロンディの音楽にはパンク/ニュー・ウェイヴだけではなく、オールディーズやディスコ・ポップの要素も入っていて、それがひじょうにメジャーなセンスでやられることによって、世界中で広くヒットした側面というのもあるのだろう。日本におけるアイドルポップスとかシティ・ポップというのはそういったものでもあるので、それがポップでありながら絶妙なニュー・ウェイヴ感も取り入れたセンスでやられているのが、なんだかとても良いなと感じた。おそらくほとんど共感はされないと思うのだが、近田春夫&ビブラトーンズ(ビブラストーンではなく)みたいな感じも良いのではないかと感じたりもした。

加納エミリの曲はだいたいどれも好きなのだが、「朝になれ」はやはり個人的に格別でバンド的なノリもグッと増したような印象を受けた。終わりが近づいた辺りのボーカルには、おそらくこちらの勝手な思い入れもあったのだろうが、やはり祈りにも似たものを感じて、この曲は音源の時点で最高に良いのだが、ライブで聴くとまた格別に良いな、という一見、当たり前すぎる感想を強くいだいたのであった。

バースデーパーティー的なサプライズやMCなどもひじょうに良く、楽しかったりグッときたりはしていたのだが、やはり音楽である。これが本当に素晴らしい。

アンコールで歌われた「ごめんね」は加納エミリのレパートリーの中でもかなりの人気曲のようだが、これもまたエレポップやユーロビートやラテン的な要素やアイドルポップスやいろいろな要素が入った、とても面白いポップスで、それでいて「少しはお世話になったけれど あなたの名前も思い出せないの ごめんね」といった痛快な歌詞、そして、何を参考にしたのかよく分からないオリジナリティー溢れる振り付け、そして、これを客も一緒にやるので、これがまたとても楽しい。楽しい上に、ちゃんと出来ると褒めてくれたりもするのでとても嬉しい(子供か)。

トータルとしてとてつもない音楽的才能と人間的な魅力を持ち合わせながら、まだそれに見合うだけの人々に見つかっていない可能性が高い加納エミリという素晴らしいアーティストの魅力が可能な限り最大限に詰まった最高のライブであった。

特別な企画として、最後の最後に初披露となるKIRINJI「スウィートソウル」のカバーをやっていたが、これもとても良かった。いろいろな方向性に可能性が溢れまくっている。現在の世の中に存在する確実に素晴らしいと思える数少ないもののうちの一つであることには、間違いがないだろう。またいつかこのような体験が、もっと望ましい状況の下で味わことができるように、これはいろいろなことを諦めずにサバイブし続けることへの強いモチベーションになるし、ポップ・カルチャーの存在意義というのはそういうところにもあるのではないか。

少なくとも加納エミリのライブを本日、体験できたことによって、私には世界がよりましなものに思えた。シンプルにいってこれが真実なのだが、言いたいことの何百分の一も伝えられていない気分でいっぱいである。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。