90年代のスウェードの印象。

1992年の春ぐらいに「NME」を読んでいたらスウェードというバンドのデビュー・シングル「ザ・ドラウナーズ」がかなり大きく取り上げられていた。後で調べたところによると、「メロディー・メイカー」ではデビュー・シングル発売以前に表紙に起用されていたらしく、その時の見出しが「THE BEST NEW BAND IN BRITAIN」だったようだ。同じ号の表紙に載っていたのがEMF、カーターUSM、ニンフス。EMFはインディー・ロックにダンス・ミュージックの要素を取り入れた系のバンドでジーザス・ジョーンズなどと共に人気があり、前の年には「アンビリーヴァブル」がアメリカのシングル・チャートで1位になっていた。カーターUSMはジム・ボブとフルーツバットという共に当時、30代のメンバーがスポーティーな格好でメッセージ性があって皮肉の効いたパンク・ロック的な音楽をやっていた。この年の5月にリリースした「1992愛のアルバム」は全英アルバム・チャートで1位を記録している。ザ・ストーン・ローゼズ、ハッピー・マンデーズなどを中心としたマッドチェスター・ムーヴメントはすでに失速し、前の年の秋にリリースされたニルヴァーナ「ネヴァーマインド」の思いがけない大ヒットによって、トレンドはアメリカのオルタナティヴ・ロック、それもラウドでヘヴィーなサウンドに乗せてシリアスなことを歌いがちなグランジに傾きつつあったといえる。

スウェードのデビュー・シングル「ザ・ドラウナーズ」がリリースされたのは1992年5月11日だが、この頃、「NME」ではヴァーヴ、スウェード、アドラブルをまとめてニュー・グラムとかいう括りで紹介していたような気もする。ヴァーヴは後のザ・ヴァーヴなのだが、すでにリリースされていたシングル「オール・イン・マインド」がインディー・チャートにはランクインしていた。バンド名に「ザ」を付けたのは、数々のジャズの名盤やヴェルヴェット・アンダーグラウンドでお馴染み、ヴァーヴ・レコーズとの法律的問題かららしい。アドラブルは当時絶好調だったクリエイション・レコーズの新しいバンドで、デビュー・シングル「サンシャイン・スマイル」はそこそこ話題になったが、それほど売れずにやがて解散した。

ニュー・グラムはまったく盛り上がらなかったのだが、スウェードの「ザ・ドラウナーズ」はかなり話題になった。そして、その特徴というのはやはりニュー・グラム的なものであった。というのも、マッドチェスターもグランジもシューゲイザーもアーティストとオーディエンスとの近さが特徴だったようなところがあり、グラマラスなカリスマ性を持ったスターのようなものが不足していて、それがやや求められていたようなところにスウェードがハマったのではないか、という印象もあった。

しかし、「ザ・ドラウナーズ」が大ヒットしたかというとそんなことはなく、全英シングル・チャートでの最高位は49位である。というか、あまりプレスしていなかったのではないか、というような気もしている。というのも当時、HMV、ヴァージン・メガストア、タワーレコードなどはもちろん、ラフトレードショップやVINYLなどに行っても、このシングルはなかなか見つからなかったからである。当時は現在のようにインターネットで簡単に音源を聴くというような環境も無く、つまり音をまったく聴けない状態で、「NME」「メロディー・メイカー」などの記事で読んだ情報や写真のイメージで想像力をふくらませたまま、何週間かが過ぎていったのだった。

そして、ある日ついにラフトレードショップで「ザ・ドラウナーズ」の12インチ・シングルを見つけたので、買って家に帰って針を落としてみた。スピーカーからイントロのドラムスが流れ、続いてあのグラム・ロック的なギター・リフ、そして聴こえてきたボーカルは中性的でセックスを感じさせ、当時のインディー・ロックの中では異質といえるようなものであった。

それから少し後、契約社員として仕事をしていたとあるCDショップにやって来た女性客からスウェードの問い合わせを受けた。その店はどちらかというと、J-WAVEなどで流れていそうな小洒落たポップスなどを当時は推していて、客層もそのようなものを求める人達が中心であった。そこでスウェードの問い合わせを受けたものだから嬉しくて仕方がない。ところが、もちろんそのような音楽を店としてはまったく推してはいないので、在庫などはあるはずもない。それでもあまりにも嬉しかったので、個人的に私物のレコードをカセットテープに録音して持ってこようかと提案をした。そして、数日後に彼女にカセットテープを渡したのだが、実はソニーの社員だということであった。数週間後に再び店にやって来て、イギリスに行ってライブも観て契約をすることになったので、日本でもソニーからCDが出るはずということであった。

秋に次のシングル「メタル・ミッキー」が出て、これはすぐに買うことができた。全英シングル・チャートでも最高17位と、前作から大躍進がみられた。「ザ・ドラウナーズ」よりもアップテンポで分かりやすくキャッチーであり、これはかなり良いのではないかと感じた。日本では2枚のシングルをまとめたCDが、やはりソニーからリリースされたのであった。

「ザ・ドラウナーズ」は「NME」「メロディー・メイカー」のいずれもにおいて1992年の年間ベスト・シングルに選ばれた。そして、1993年の2月に「アニマル・ナイトレイト」がリリースされると、全英シングル・チャートで最高7位を記録し、初のトップ10入りを果たす。この頃にはデビュー・アルバムが間もなくリリースされることも分かっていたので、私はこのシングルを買わなかったはずである。「BEAT UK」でミュージックビデオを観たのだが、これまでのシングルの延長線上にあり、それほど衝撃は受けなかったのだが、それでも当時の私にとって最もエキサイティングなバンドであったことに変わりはなく、アルバムの発売が楽しみになった。ブレット・アンダーソンが「NME」にデヴィッド・ボウイと一緒に登場したり、インタヴューで自分はホモセクシャル経験のないバイセクシャルだというような発言をしたことも話題になっていた。

これまでの3枚のシングルを全て収録したデビュー・アルバム「スウェード」は1993年3月29日に発売され、全英アルバム・チャートで初登場1位を記録した。当時、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド「ウェルカム・トゥ・ザ・プレジャードーム」(1984年)以来最も速く売れたデビュー・アルバムということでも話題になった。また、ジャケットのアートワークでキスをしている人物は女性なのか男性なのか、異性愛なのか同性愛なのかということが取りざたされたりもしたが、どうやら計算通りだったようである。

アルバムそのものの評価は好意的ではあったものの、大絶賛という感じでもなかったような印象があり、それでも良い曲がたくさん入っているなという感じではあった。スウェードの元メンバーでブレット・アンダーソンと付き合っていた女性が破局、脱退し、現在はブラーのデーモン・アルバーンと付き合っているという話もすでにこの時点で広く知られていたような気がする。ブラーは1991年に「ゼアズ・ノー・アザー・ウェイ」がヒットするものの、翌年の「ポップシーン」がそれほど売れず、一発屋で終わるのではないかと思われていたようなところもあるのだが、「スウェード」の翌月にリリースされたシングル「フォー・トゥモロー」及びこの曲を収録したアルバム「モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ」がレトロ感覚の良質なブリティッシュ・ポップをユーモアたっぷりやっているという実にユニークなもので、高評価を受けるのであった。とはいえ、当時のUKインディー・ロック界の話題の中心は大型新人バンドのスウェードであり、このブレイクは元カノと付き合っているデーモン・アルバーンのブラーに対する復讐劇ともいうべき、ゴシップ的な見方も狭すぎるごく一部にはあったような気もする。

「スウェード」からは「ソー・ヤング」がシングル・カットされ、全英シングル・チャートで最高22位を記録している。6月から7月にかけては初来日公演も行われていて、私はクラブ・チッタ川崎の2日中どちらかに行った。開演間際に着いたこともあり、かなり後ろから観ていたことと、事前にアンコールはやらない旨が告知されているなどあっさりとしたセットではあったが、スウェードの演奏が生で体験できたということだけでわりと満足していたような印象がある。イギリスの音楽雑誌「SELECT」はブレット・アンダーソンを表紙に掲載し、セイント・エティエンヌ、デニム、パルプ、ジ・オトゥールズなども掲載したブリットポップ特集のようなものを組んだりもする。前の年の秋にリリースされたレディオヘッド「クリープ」がアメリカのカレッジ・ラジオで人気とかで、イギリスでも逆輸入のようなかたちでヒットを記録する。秋には70年代から活動するパルプがメジャーと契約して初めてのシングル「リップグロス」をリリースするなど、ブリットポップブームへのお膳立ては整いつつあった。

「スウェード」は「NME」の年間ベスト・アルバムで3位、「アニマル・ナイトレイト」は年間ベスト・シングルで4位に選ばれる。ちなみにアルバムの1位がビョーク「デビュー」、2位がザ・ブー・ラドリーズ、シングルの1位がブリーダーズ「キャノンボール」、クレジット・トゥ・ザ・ネイション「コール・イット・ホワット・ユー・ウォント」、3位がレフトフィールド/ライドン「オープン・アップ」であった。

1994年第1弾シングルは「ステイ・トゥゲザー」で、長尺かつブレット・アンダーソンのラップが入っているらしいという情報もあったが、聴いてみたところセリフのようなものが少し入っていただけであった。しかし、バンドとしての新機軸を感じさせるようなものではあり、全英シングル・チャートでも過去最高となる3位を記録するなど、イギリスのインディー・ロック界ではダントツで最も旬なのは盤石という印象もあった。

この後、ブラーがまさかのディスコ・ポップ「ガールズ・アンド・ボーイズ」で全英シングル・チャート最高5位、この曲を収録したアルバム「パークライフ」が初の1位でブレイクを果たすと、4月にはオアシスが「スーパーソニック」でデビューするなり、優れた楽曲とインタヴューにおける兄弟喧嘩などで人気となり、8月にリリースしたデビュー・アルバム「オアシス(Definitely Maybe)」で1位を記録する。オアシスがデビュー・シングルをリリースする直前には、ニルヴァーナのカート・コバーンが自らの命を絶ったとされる事件も起こっていた。

スウェードが次のシングルをリリースしたのはその後で、9月12日の「ウィ・アー・ザ・ピッグ」であった。アルバム先行シングルにもかかわらず最高18位と、いまひとつ伸びなかった印象がある。そして、イギリスのインディー・ロック界の話題はオアシスとブラー、メジャー移籍後初のアルバムをリリースしたパルプも好評であった。

このかなり以前からスウェードはバンド内部での人間関係がゴタゴタしていて、バーナード・バトラーが孤立するかたちになっていた。そして、2作目のアルバムが完成するのを待たずして脱退、というか持ち物がスタジオの外に放置されていたらしい。このような状況を反映していたのかいなかったのか、「ウィ・アー・ザ・ピッグ」にはダークなトーンが感じられ、同じブリットポップで括られてはいたのだが、オアシスやブラーのポジティブなムードとは対照的だと感じられるところもあった。

「ウィ・アー・ザ・ピッグス」を収録したアルバム「ドッグ・マン・スター」がリリースされたのは1994年10月10日、西新宿のラフトレードショップで買って、聴いて感激したのだが、翌日に名古屋で弟の結婚式があったのでその後すぐに家を出たのだった。発売の少し前に出た「NME」にダイジェスト的な7インチ・シングルが付録で付いていて、その時点でこれはかなり良いのではないかと思っていたのだが、実際に聴いてみるとすさまじかった。サウンドがより実験的になっていると同時にソングライティングに深みが増していると感じられ、特にその印象が強かった「ワイルド・ワンズ」が次にシングル・カットされた。ブリットポップとかインディー・ロックとかいう範疇というよりは、これはポップ・ミュージックとしてかなり良いのではないかという、そんな印象を受けたのであった。全英アルバム・チャートでは最高3位と十分に売れていたのだが、デビュー・アルバムが初登場1位でイギリスのインディー・ロックではずっと再注目バンドであったことから比べると、作品のクオリティーは上がっているものの、トーンダウン感は否めなかった。

オアシス、ブラー、パルプ、スウェードが今日ではブリットポップ4大バンドということになっているようなのだが、当時もそうだったのかはよく覚えていない。というか、マニック・ストリート・プリーチャーズやレディオヘッドは今日ではブリットポップではないとされているようでもあるが、当時は同じ部類の音楽として聴かれていたような気がする。

それはそうとして、上記ブリットポップ4大バンドが全て最新オリジナルアルバムを出した年は1994年のみである。という訳で、この年のNME年間ベスト・アルバム、1位はオアシス「オアシス」で2位がブラー「パークライフ」である。3位がビースティ・ボーイズ「イル・コミュニケーション」、4位がニルヴァーナ「MTV・アンプラグド・イン・ニューヨーク」、5位がマニック・ストリート・プリーチャーズ「ホーリー・バイブル」、6位がポーティスヘッド「ダミー」、7位がオービタル「スニヴィリゼーション」に続く8位にスウェード「ドッグ・マン・スター」が選ばれている。翌年の1月にはポップでキャッチーな「ニュー・ジェネレーション」がシングル・カットされ、全英シングル・チャートで最高21位を記録した。

つまり、1995年であり、夏にブラーとオアシスが同じ日にシングルをリリースして、どちらが1位になるかという話題で音楽メディアのみならず、一般的なテレビのニュースまでもが盛り上がるなど、ブリットポップはメインストリームのポップ・カルチャーとして大いに盛り上がることになった。苦節の末にブレイクしかけていたパルプは5月にリリースした「コモン・ピープル」が全英シングル・チャートで最高2位のヒットを記録、ストーン・ローゼズがメンバーの事故が原因でグラストンベリー・フェスティバルのヘッドライナーを辞退することになると、その代役として期待以上の結果を残し、一躍国民的人気バンドの座に躍り出た。スーパーグラス、アッシュ、ブルートーンズといった新世代も台頭し、1996年の夏にはオアシスがネブワースでのライブに多くの観客を集めた。後から振り返って、これをブリットポップのピークと見なす場合もある。

長い間リリースの無かったスウェードが久々のシングル「トラッシュ」を出すのは、オアシスがネブワース公演を行う少し前、1996年7月29日のことであった。ブリットポップは引き続き盛り上がっていて、スーパー・ファリー・アニマルズやディヴァイン・コメディーといったニッチな音楽性のアーティストでさえ、全英シングル・チャートのわりと上の方にランクインしているような状況であった。

スウェードにはバーナード・バトラー脱退後に当時まだ10代だったギタリスト、リチャード・オークスが加入し、ソングライティングにも関わるようになった。これが影響したのかスウェードの音楽性はよりポップでキャッチーなものとなり、これが当時のブリットポップな気分にもマッチしていたのだろうか。「トラッシュ」など歌詞ではそれほど明るいことを歌っているわけではないのだが曲は確かにキャッチーであり、全英シングル・チャートで「ステイ・トゥゲザー」と並び過去最高となる3位のヒットを記録している。

このシングルがイギリスでリリースされる前日、つまり1996年7月28日に東京ビッグサイトでPOP-STOCKなるスウェードを目玉にしたライブイベントがあり、私もこれに行っていた。他の出演アーティストはスリーパー、EL-MALO、プッシャーマンであった。来ている客層にはひじょうにカジュアルな印象があり、ごく一般的な女子中高生のように見える人達が会場で流れるディヴァイン・コメディー「サムシング・フォー・ザ・ウィークエンド」などを普通に口ずさんだりしていた。

「トラッシュ」がリリースされた頃のインタヴューでブレット・アンダーソンはブリットポップとかインディー・ロックに留まるのではなく、マライア・キャリーかホイットニー・ヒューストンか忘れたが、そういう人が歌っても良いと思われる曲を書きたいというようなことを言っていたような気がする。また、自分達の音楽には敗者であったりはぐれ者の人達のためのものというような側面もあり、そのためいわゆるブリットポップ的なものとはまた違った需要というのがあるものと考えている、というようなことも言っていたと思う。「トラッシュ」の歌詞というのはまさにそういったものであり、一般的な人気関係について歌われていると捉えることもできるが、スウェードというバンドのアイデンティティーであったりファンダムについて歌っているという解釈もファンの間では定着している。

まったくの余談だが、この頃、「ロッキング・オン」が契約社員を募集していて、「トラッシュ」のレヴューで応募したのだがあっさりと落とされて、増井修の名前がちゃんと入った文書が幡ヶ谷のマンションに届いた。POP-STOCKで買った「トラッシュ」のTシャツもよく着て近所を歩いていた。キーボードとバッキング・ボーカルのニール・コドリングが新メンバーとして参加したのもこの辺りからだったと思う。

「トラッシュ」を収録したアルバム「カミング・アップ」は9月2日にリリースされ、全英アルバム・チャートではデビュー・アルバム以来となる1位に輝いた。アルバム全体的に音楽性がポップでキャッチーになっているのは、なんとなく予想していた通りであった。ザ・スミスや初期のデヴィッド・ボウイなどと比較されることもあった前作までと比べるとかなり分かりやすくなった印象があった。

この年にはリッチー・ジェイムスが失踪し、行方不明になったことによって3人組になったマニック・ストリート・プリーチャーズが「デザイン・フォー・ライフ」で復活を遂げると全英シングル・チャート最高2位のヒットを記録、続くアルバム「エヴリシング・マスト・ゴー」も2位になった。「デザイン・フォー・ライフ」はワーキングクラスのアンセムとでもいうべき、マニック・ストリート・プリーチャーズらしさがよく出た楽曲であり、ブリットポップの享楽的な感じとはかなり異なっていたのだが、それでもかなりヒットした。

現在の分類ではスウェードはブリットポップだがマニック・ストリート・プリーチャーズはそうではないとされているように見受けられるところもあるが、スウェードはオアシスやブラーやパルプよりも、マニック・ストリート・プリーチャーズにより近いのではないかという気が当時も現在もひじょうにしている。オアシス、ブラー、パルプの陽に対してスウェード、マニック・ストリート・プリーチャーズの陰というか、なんとなくそんな印象があった。1994年にはいま挙げた5組のバンドが全てオリジナルアルバムをリリースしたのだが、翌年にはオアシス「モーニング・グローリー」、ブラー「グレイト・エスケイプ」、パルプ「コモン・ピープル」と陽のイメージ、その翌年にはスウェード「カミング・アップ」、マニック・ストリート・プリーチャーズ「エヴリシング・マスト・ゴー」と陰のイメージのバンドがそれぞれ新作をリリースしたということになる。

「カミング・アップ」からはやはりポップでキャッチーな「ビューティフル・ワンズ」がシングル・カットされ、全英シングル・チャートで8位を記録した。この曲はイメージの羅列のような歌詞が面白いのだが、ビデオではフレーズの一つ一つが映像であらわされるような演出がされていて、それもひじょうに楽しめる。

年が明けて1997年1月13日には「サタデイ・ナイト」がシングル・カットされ、全英シングル・チャートで最高6位とすっかり安定してヒットが量産できるバンドに変化したようにも思える。しかも、この曲はそれほどキャッチーというわけでもなく、アルバムの最後に収録されたバラードである。メロディーがとても良い上に、退屈だったり辛かったりもする平日を耐えて、土曜の夜には恋人がハッピーになれることをしたい、というような内容がペーソスたっぷりに描かれている。地下鉄で撮影されたというビデをもまたひじょうに味があり、帰路に就く人々の様々な人間模様が、クラブでの歓喜と地下鉄車内での倦怠の対比というようなものをも含め、表現されている。

この後、「カミング・アップ」からは「レイジー」「フィルムスター」がシングル・カットされ、いずれも全英シングル・チャートで最高9位を記録する。つまり、このアルバムからは5曲のトップ10ヒットが生まれたということになる。

スウェードは「カミング・アップ」を引っ提げての来日公演をこの年に行っていて、私は3月2日の赤坂ブリッツに行っている。その時に一緒に行っていた私の現在の妻は開演を待っている間にかつて同じデザイン事務所で働いていたという男性と偶然に再会することになった。彼もこの日、スウェードを観に来ていたわけだが、一緒に働いていた頃はマイケル・ジャクソンなどを聴いていて、こういうインディー・ロックのようなものは一切聴いていなさそうだったということであった。

この年にはレディオヘッド「OKコンピューター」、ザ・ヴァーヴ「アーバン・ヒムス」、スピリチュアライズド「宇宙遊泳」といった、イギリスのインディー・ロックでもよりシリアスな内容のものが高く評価された。ブラーはアメリカのオルタナティヴ・ロックから影響を受けた音楽性にシフトチェンジして、レーベルはファンが離れることを危惧してもいたようだが、結果的にそれは成功したようである。オアシスは大ヒットした「モーニング・グローリー」以来の待望のアルバム「ビィ・ヒア・ナウ」をリリースし、当初は盛り上がり、売れもしたのだが、評価はそれほど芳しいものではなかった。パルプは1998年に「ディス・イズ・ハードコア」をリリースするのだが、これがまた実に陰鬱な作品でもあり、ブリットポップの狂騒はいよいよ遠いものになってしまったのだなということを実感させた。

この間、スウェードは新しい作品を発表しなかったが1997年10月6日にはシングルのカップリング曲を集めた2枚組コンピレーション・アルバム「サイ・ファイ・ララバイ」をリリースし、全英アルバム・チャートで最高9位を記録した。スウェードは特に初期において、シングルのカップリング曲にひじょうに優れたものが多く、それらを収録していればデビュー・アルバムの評価はもっと高くなっていたのではないかという意見もあった。

そして、1999年3月にブラーはデーモン・アルバーンのジャスティーン・フリッシュマンとの別離が強く反映したような内容のアルバム「13」をリリースするが、ブリットポップ以降のバンドとしての成長が感じられる作品となっていて、全英アルバム・チャートで「パークライフ」から4作連続となる1位を記録する。

スウェードが久々のニュー・シングル「エレクトリシティ」をリリースするのが、この翌月の4月12日である。こちらもブリットポップ以降、どのような音楽性になっているかが注目されたが、キーボーディストのニール・コドリングがソングライティングにも参加し、より実験的なサウンドに変化していた。しかし、根本的にはスウェード節とでもいうべきキャッチーさは変わらず、全英シングル・チャートで最高5位のヒットを記録することになった。

アルバム「ヘッド・ミュージック」は5月3日にリリースされ、「カミング・アップ」に続き全英アルバム・チャートで1位に輝いた。音楽的にはシンセサイザーを効果的に使用した実験性や、80年代のポップスやプリンスの音楽などとの比較もされていたような気がする。

「ヘッド・ミュージック」から6月にシングル・カットされた「シーズ・イン・ファッション」は全英シングル・チャートでの最高位こそ13位だが、イギリスのラジオでかかるケースがひじょうに多く、意外にもよく知られているのだという。確かにスウェードらしさは残しながらも、ひじょうに聴きやすいサウンドに仕上がっているようにも思える。ミュージックビデオもなんだか爽やかな印象である。

「ヘッド・ミュージック」からはこの後、「エヴリシング・ウィル・フロウ」「キャント・ゲット・イナフ」がシングル・カットされ、全英シングル・チャートでそれぞれ24位と23位を記録した。9月には来日公演が行われ、ブラーとJUDY AND MARYが好きな女子大学生と赤坂ブリッツに観に行ったような気がする。「ヘッド・ミュージック」は全英アルバム・チャートで1位にはなったが、デビュー当時からスウェードを推してきた「NME」はこの年の年間ベスト・アルバム50枚にこのアルバムを選ばなかった。一方、スウェードをデビュー・シングル発売前から表紙にしていた「メロディー・メイカー」は年間ベスト・アルバムで1位に選ぶのだが、翌年には廃刊となり75年の歴史に幕を閉じた。

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