90年代のブラーの印象について。

1991年にあなたはどこにいたのか?と問われると、六本木WAVEのクラシック売場でオペラのCDの袋詰めなどをしていた訳であり、DJイベントなるものに行ったこともなければDJ感覚でレコードやCDを買っていたことなど一度も無い、しかもいまやNegicco「アイドルばかり聴かないで」(2013年)の歌詞で小西康陽が書いていた「普通の人」のように「CDなんてもう買わなくなった」ので、当時、フリッパーズ・ギターを受動的に聴いていただけで、私は「渋谷系」とはほとんど関係がない。

それはそうとして、その頃に知り合った少し年下の若者達によって、私は「remix」に載っているようなクラブのDJイベントなどに日常的に行っている人々というのはフィクションの中ではなくて、ちゃんと実在するのだということを初めて知ることができた。

さて、フジテレビで確か金曜の深夜に放送されていた「beat UK」でブラーの「ゼアズ・ノー・アザー・ウェイ」を知ったのだが、ザ・ストーン・ローゼズ、ハッピー・マンデーズ、インスパイラル・カーペッツのマッドチェスター勢、いわゆるインディー・ロックにダンス・ミュージックの要素も入ったようなやつのフォロワー的な印象を持っていてすぐに消えるだろうと思っていたのだが、当時、知り合ったパステルズとかいうよく知らないバンドを信奉していてアノラックとかいうまったく聴いたことのないジャンルの音楽をバンドでやっているらしい少し年下の男は、ブラーのことを天才音楽集団だといっていた。彼との見解は異なっていたが、ミュージックビデオの中で家族で食事中にもかかわらずカメラに向かってやや病的な表情で歌うデーモン・アルバーンに対して、お前歌ってないでさっさと食えよとツッコミを入れたくなる衝動は共通していた。

その年の秋にニルヴァーナの「ネヴァーマインド」が出て、オルタナティヴ界隈だけではなくメジャーに大ヒットするという一つの事件が起こるのだが、その翌年、ブラーはシングル「ポップシーン」をリリースする。マッドチェスターのフォロワー的印象は払拭され、よりパンキッシュになったようであった。これはいいやとシングルCDを買って、(クラブではなく)自宅でかけて踊り狂っていた。

しかし、これが売れなかった。そのうちイギリスではスウェードがデビューし、UKインディー・ロック界の話題を独占という感じになっていく。ブラーはジーザス&メリー・チェイン、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、ダイナソーJrといったわりとノイジーめなバンド3組とライブをやったり、アメリカツアーを続けるうちにホームシックに陥ったりもする。そして、翌年にリリースされたシングルが「フォー・トゥモロー」。当時のシーンとはまったく関係がない、レトロ感覚のブリティッシュ・ポップ、しかし、曲は明らかに良いし、当時のシーンが失っていたものを持っていたのかもしれない。スーツやフレッドペリーのポロシャツにブルージーンズといったスタイルで雑誌に登場し、「ブリティッシュ・イメージ」とキャプションを付ける、「SELECT」という雑誌の記事ではバンドのメンバーがラジオを聴いていると伝説のディスク・ジョッキー、ジョン・ピールがこの曲をかけた後、この曲が収録されるアルバムは「モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ」、つまり「現代の生活はゴミ」というんだが、私は彼らとユーモアのセンスを共有しているみたいだ、というようなことを言って大喜びというくだりもあった。

「モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ」はそれほど大ヒットしたという訳でもなかったのだが、そのユーモア溢れるレトロ感覚のブリティッシュ・ポップ、しかもとにかく曲が良いという路線は大いに受け、バンドの今後に期待を抱かせるものであった。約1年前には一発屋として消えていくのではないかとすら思われてもいたのにである。ブラーはメンバーのビジュアルも良くて、アイドル的なポテンシャルも兼ね備えていた。まったくの余談だが、当時、アルバイト先で知り合った女子大学生と初めて食事に行く時に、「SELECT」に載っていたデーモン・アルバーンのファッションを参考にし、調布PARCOで服を買った。

さて、1994年のはじめにはNWONW(ニュー・ウェイヴ・オブ・ニュー・ウェイヴ)が流行ると「NME」などは書き立てていたのだが、結局のところ流行らずに、代わりにブリットポップが盛り上がった。それは「NME」が推していたスマッシュやジーズ・アニマル・メンよりもオアシスの方が売れたことにもよる。NWONWといえばエラスティカだが、フロントパーソンのジャスティーン・フリッシュマンはスウェードの初期のメンバーでブレット・アンダーソンと付き合ってもいたが、別れて脱退してエラスティカを結成、当時はブラーのデーモン・アルバーンと付き合っていたということで、後にブリットポップのロイヤルカップルなどとも呼ばれるようになる。そんなゴシップ的な側面もあって、当時はスウェードVSブラーという図式がなんとなくあった。前の年、ブラーは「モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ」がわりと高評価を受け、全英アルバム・チャートで最高15位だったのに対し、スウェードのデビュー・アルバムは初登場1位であった。この年にも新規軸のシングル「ステイ・トゥゲザー」をヒットさせ、トップバンドの座は盤石であるかのように思われた。この頃、付き合っていた女子大学生がイギリス旅行に行き、現地で「ロッキング・オン」の宮嵜広司に会ったとかはまあいいんだが、お土産にプライマル・スクリーム「ロックス」だとかモリッシー「ザ・モア・ユー・イグノア・ミー・ザ・クローサー・アイ・ゲット」のCDシングルを買ってきてもらうなどしていた。そして、イギリスのテレビでブラーがジャージとスニーカーのような格好でディスコソングみたいな曲を歌っていたと言っていた。俄かには信じがたかったのだが、少し後に「ガールズ・アンド・ボーイズ」を聴いて納得した。この曲は全英シングル・チャートでバンドにとってこの時点における最高位である5位を記録した。

「ガールズ・アンド・ボーイズ」のヒットを受けて、アルバム「パークライフ」は初の全英アルバム・チャート1位を記録した。前作のブリティッシュ・ポップ路線をさらにモダンにしたような印象で、これが大いにウケたように思われる。キャッチーな曲もたくさん収録されていたが、次にシングル・カットされたのはゲスト・ボーカリストとしてステレオラブのレティシア・サディエールを迎え、オーケストラを導入したラヴ・ソング「トゥ・ジ・エンド」であった。

この年の4月にオアシスがシングル「スーパーソニック」でデビューして、みるみる頭角をあらわしていく。スウェードは充実した2ndアルバム「ドッグ・マン・スター」をリリースするもののギタリストでソングライターのバーナード・バトラーが脱退したことなどもあり、人気に翳りも見えてきていた。時代はブラーVSスウェードからブラーVSオアシスに移行しつつあった。ブラーVSオアシスの図式というのは、ポップVSロック、イギリスの南部VS北部、ミドルクラスVSワーキングクラスなどとも捉えることができ、ひじょうにキャッチーだったような印象もある。「パークライフ」のタイトルトラックにはモッズ文化のバイブル的映画「さらば青春の光」に主演していたフィル・ダニエルズがゲスト参加していたが、8月にアルバムから3枚目のシングルとしてカットされると、全英チャートで最高10位を記録した。このどこかコミカルさも感じられるポップ感覚は「モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ」から3枚目のシングルとしてカットされた「サンデイ・サンデイ」の延長線上にあるように思える。

1995年に入るとオアシス、ブラー、スウェードだけではなく、前年末に久々の新作をリリースしたザ・ストーン・ローゼズや長いキャリアを経てブレイクを果たしたパルプ、ブー・ラドリーズ、スーパーグラスといったグループもヒットを記録し、ブリットポップはいよいよムーヴメントとして盛り上がりを見せていく。オアシスは4月にリリースした「サム・マイト・セイ」で初のシングル・チャート1位、次の「ロール・ウィズ・イット」の発売日に、ブラーが「カントリー・ハウス」で合わせてきた。これを音楽メディアのみならず一般的なテレビのニュース番組までもが面白がって、いわゆる「バトル・オブ・ブリットポップ」が勃発する。結果的にはいくつかのからくりがあったともいわれているが、ブラーが勝利を収めたのだった。しかし、ユーモアがやや行き過ぎたようなところもあるこの曲のビデオなどに、インディー気質のギタリスト、グレアム・コクソン辺りはうんざりしていたという。

「バトル・オブ・ブリットポップ」を戦ったオアシス「ロール・ウィズ・イット」、ブラー「カントリー・ハウス」はいずれもそれぞれのバンドのキャリアにおいて、けして評価が高い方の楽曲ではない。「カントリー・ハウス」を収録したアルバム「グレイト・エスケイプ」はラフォーレ原宿の地下にあったHMVから地上に上がる時にいまかけているCDのジャケットを表示するモニターで見かけて、まだ出ていないはずなのだが発売日が繰り上がったかと思い、売場にダッシュで戻ったところサンプル盤をかけていただけだった、ということが思い出される。完成度の高いポップ・アルバムだとは感じたが、1曲目「ステレオタイプス」では「ワイフスワッピングは未来」などと歌ってもいて、ちょっとシニカルなユーモアがしんどくなってきているのでは、とも感じた。2枚目のシングルとしてカットされた「ユニヴァーサル」はわりと評価が高かったように記憶しているが、「時計じかけのオレンジ」を想起させもするミュージックビデオも含め、どこかアートスクール的なセンスのようなものも感じさせた。

ブラーとオアシスが同じ日にシングルをリリースした「バトル・オブ-・ブリットポップ」では1位のブラー「カントリー・ハウス」が2位のオアシス「ロール・ウィズ・イット」に勝利したのだが、アルバムからの次のシングルが秋にリリースされると、ブラー「ユニヴァーサル」の5位に対してオアシス「ワンダーウォール」は2位、翌年2月にリリースされたさらにまた次のシングルにおいてはブラー「ステレオタイプス」が7位に対してオアシス「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」が1位と、オアシスが逆転したような感じになっていた。オアシスがアルバム「モーニング・グローリー」からイギリス国内でカットしたシングルはここまでだったが、ブラーは翌々月に「チャームレス・マン」をシングル・カットし、こちらは全英シングル・チャートで最高5位だった。タイトル通り魅力のない男を皮肉った曲であり、オアシスのみんなのうた的な大衆性とは逆ベクトルのようにも思えた。

1996年の夏に行われたオアシスのネブワース公演がブリットポップのピークだったともいわれているのだが、それは一体いつの時点で認識されたのだろうか。1997年はレディオヘッド「OKコンピューター」、ザ・ヴァーヴ「アーバン・ヒムス」、スピリチュアライズド「宇宙遊泳」などがリリースされた年だが、ブラーもオアシスもニュー・アルバムをリリースしている。ブラーの5作目にして初めてバンド名をタイトルにしたアルバムから先行シングル「ビートルバム」が1月にリリースされた。オルタナティヴ・ロックからの影響も感じられるダウナー気味の曲で、ブリットポップの狂騒からは遠く離れているようでもあった。それでもメロディーはポップであり、全英シングル・チャートでは「カントリー・ハウス」以来となる1位を記録した。

アルバム「ブラー」の音楽性はペイヴメントなどのアメリカのオルタナティヴ・ロックから影響を受けたものだともいわれ、そこには主にグレアム・コクソンの趣味嗜好が反映していたようである。レーベルはこれまでのファンが離れないだろうかと心配もしていたようなのだが、蓋をあけてみれば「ビートルバム」も「ブラー」も全英1位、トレンドの変化をあたかも敏感につかんでいたかのような路線変更であった。あるいは、これこそがブリットポップの死期を早めたのか。次にシングル・カットされた「ソング2」がまた良かった。ノリノリにパンキッシュな楽曲でこれも全英シングル・チャートで最高2位のヒットを記録した。

ブリットポップの終焉を決定的に印象付けたのは、1998年にリリースされたパルプのアルバム「ディス・イズ・ハードコア」だったような気がする。それでも前作がものすごく売れたバンドの新作だったので新宿の丸井の地下にあったヴァージン・メガストアでは、あの陰鬱なタイトルトラックを何度もジングル的に流しながらプロモーションをしていた。その前の年にはオアシス「ビィ・ヒア・ナウ」が売れはしたものの、内容がまったく評価されなかったということもあった。そして、ブラーは1999年のアルバム「13」に先がけて、先行シングルとして「テンダー」をリリースする。ジャスティーン・フリッシュマンとの破局によって傷心のデーモン・アルバーンがその心情を吐露したかのような楽曲で、ゴスペル音楽のコーラス隊を起用するなど音楽面での新機軸も見られた。この曲は全英シングル・チャートで最高2位のヒットを記録する。

そして、「13」は1999年3月にリリースされると、「パークライフ」から4作連続となる全英アルバム・チャート1位を記録した。そして、次にシングル・カットされたのがグレアム・コクソンがリードボーカルをとる「コーヒー&TV」であった。牛乳パックがグレアム・コクソンを探して走り回るミュージックビデオも良かったが、従来のシングル曲よりもよりインディー色が強い楽曲は、バンドの新しい魅力をアピールしているようにも感じられた。

そして、ブラーの1990年代最後のシングルとしてカットされたのが「ノー・ディスタンス・レフト・トゥ・ラン」であった。これもやはりジャスティーン・フリッシュマンとの破局が強く影響していると思われる楽曲で、調子の良いトリックスター的なイメージもあったデーモン・アルバーンだけに、このガチ病みぶりはギャップ萌えを誘発したようなところもあったのではないだろうか。もはやシングル向きなのかどうかもよく分からない、キャッチーさはそれほど感じられない曲ではあるが、デーモン・アルバーンのシンガー・ソングライターとしての成熟ぶりをじゅうぶんに感じさせはしたのであった。結果的に1991年に六本木の公園でブラーは天才音楽集団だと言い放った彼の方が正しかったわけだが、この頃にはもうすでにこの世にはいなかった。それでも、ほら自分の言う通りだっただろ、とあの屈託のない笑顔でいまも私に語りかけているような気がしてならない。自動販売機でカルピスウォーターは売り切れていた、あの夏のまま。

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