浜田省吾とニューミュージックとシティ・ポップの思い出について。

「Young oh! oh!」という曲が岡村靖幸のデビューアルバム「yellow」には収録されていた(尾崎豊とのこの曲のライブ映像も有名)のだが、「ヤングおー!おー!」といえば日曜の夕方ぐらいに放送されていたバラエティー番組である。日清食品が提供をしていて、カップヌードルのCMがよく流れていた印象がある。当時のカップヌードルのCMにはアメリカ的な自由や解放感というイメージがあったように思え、CMソングにもそういった感じのものが使われていたような気がする。

「自由に生きてく方法なんて100通りだってあるさ It’s so easy, easy to be free」と歌われる浜田省吾「風を感じて」を初めて聴いたのもカップヌードルのCMソングとしてだったと思う。当時、この曲はオリコン週間シングルランキングで最高25位を記録するスマッシュヒットとなったが、これは折からのニューミュージックブームに乗ったもののように思えた。

アリス、ゴダイゴ、松山千春、さだまさし、中島みゆき、渡辺真知子、世良公則&ツイスト、原田真二、竹内まりや、庄野真代、甲斐バンド、オフコース、チューリップなど、70年代後半の日本のヒットチャートではニューミュージック勢の活躍がひじょうに目立った。ニューミュージックの定義はひじょうに曖昧であり、演歌、歌謡曲以外の日本のポップスのほとんどをそう呼んだとしても差し支えはなかったような印象がある。サザンオールスターズや長渕剛なども、もちろんニューミュージックであった。

後にシティ・ポップと呼ばれるようになる山下達郎や大滝詠一などの曲は70年代後半の時点ではヒットしていなかったので、ニューミュージックと呼ばれることもなかったのか。松任谷由実、南佳孝などはシティ・ポップのアーティストとして知られているが、70年代にはニューミュージックにカテゴライズされていた。

ニューミュージックはフォークソングがもっと都会的に洗練されたものをも含んでいて、それは日本人全体の生活水準の向上とも関係していたように思える。たとえば、風呂無しのアパートに住んでいて、銭湯に一緒に行くカップルを描いて大ヒットした、かぐや姫「神田川」のような価値観は「四畳半フォーク」などと呼ばれ、時代錯誤的なものにされようとしていたのだが、要は国そのものに勢いがあり、経済的に多くの国民に恩恵があった頃に調子に乗って、あたかも自分たちまでもがそうなれるような錯覚をして、都会の金持ちや広告代理店がつくったり仕掛けたりしたような文脈に組み込まれようとしていただけのことである。

ちなみに、「四畳半フォーク」「中産階級ポップ」というような呼び名を発明したのは自分だと、著書「ルージュの伝言」(1984年刊)で松任谷由実が表明しているのだが、金持ちのボンボンのダメなところを煎じ詰めたような雰囲気があると、私は別に思わないのだが、そのように評されることもあるような気がする安倍晋三元内閣総理大臣に激しくシンパシーを感じていた風の告白にも、何ら驚くべきことはないように思える。

高度資本主義の快楽でもいうのだろうか、消費や浪費こそが美徳で貧乏は敵というようなムードというのは確実にあり、物を売るための広告文を書くことが生業であるコピーライターが、あたかも時代の最先端をいく思想家かアーティストでもあるかのように持て囃されたりもした。そういった消費や浪費のシーンとの親和性が高かったのがシティ・ポップ的な音楽であり、次第にそぐわなくなっていったのがニューミュージック的な音楽だったというような印象がある。

その前に80年代がはじまると、テクノポップやアイドルや漫才が流行り、一気に軽くてポップなものこそが正しいというような感覚が蔓延していったような感覚がある。その前の年までカッコいいと思っていたニューミュージックが、急に暗くてダサくてカッコ悪いもののように思えるようになっていった。私のような者はもちろん根が暗いわけだが、当時、それがバレることはほぼ死活問題に近いわけであり、なんとか必死で明るさを繕って生きていた。

EPOがシュガー・ベイブの「DOWN TOWN」をカバーしたバージョンは1981年に「オレたちひょうきん族」のエンディングテーマに使われる以前に、すでにラジオではわりとかかっていて、知っている人は知っている印象があった。都会的でものすごくポップな曲だったのだが、「暗い気持ちさえ」という部分だけは聴くたびにいつもビクビクしていた。なぜなら、暗いとバレることはほとんど死活問題だったからである。

1980年の元旦にリリースされた沢田研二の「TOKIO」は東京をスーパーシティだとして、派手な衣装で落下傘を背負いながらパフォーマンスされていた。また、やはり東京を「TOKIO」と発音したイエロー・マジック・オーケストラ「テクノポリス」は世に社会現象的ともいえるほどのテクノ旋風を巻き起こした。山下達郎が自ら出演したカセットテープのテレビCMによって、「RIDE ON TIME」がオリコン週間シングルランキング3位を記録し、シティ・ポップ的な音楽のお茶の間化に大きく貢献した。

その年に浜田省吾は「東京」というシングルをリリースし、オリコン週間シングルランキングでは圏外に終わった。沢田研二がスーパーシティ、イエロー・マジック・オーケストラが「テクノポリス」と表現した当時の東京を浜田省吾は「路地の裏で少女が身を売る」「真夏の街を仕事探してさまよう人」「老人達は失意の中で何も語らない」といったイメージによって切り取ったのであった。

浜田省吾とリスナー層が被っていると思われがちだが、個人的な経験上、自分自身も含め実はそれほどでもないのではないかと思っている佐野元春は1980年にデビューしているのだが、アルバム「BACK TO THE STREET」の1曲目に収録された「夜のスウィンガー」においては、「都会の夜景って奴が気絶しながら笑ってら」「だまされてもまだ自由でいたいから 心はいつでもヘビーだけど 顔では大丈夫 大丈夫」と歌っている。

シティ・ポップは都会のイメージをキラキラしたものとして表現している印象が強く、それゆえに憧れやときめきを投影するかたちでの支持をされがちなのではないかとも思える。一方、デビュー当時には所属事務所の意向などもあり、後にシティ・ポップと呼ばれるようなタイプの音楽もやらざるを得なかったのだが、実は自分自身が本来やりたい音楽とはまったく異なっていたため、後に社会派ロッカー的な作風に転じ、成功していく浜田省吾とはかなり異なっているような気がする。

浜田省吾は1979年の「風を感じて」以降、特にこれといったヒット曲も無いまま、アルバムの売り上げやライブ動員を増やしていったことから、実力派アーティストとしての印象が音楽ファンの間で定着していった。当時の都会のキラキラした感じ、それは高度消費社会や実はそういったものが最も都合よく作用するような気もする都会の金持ちや広告代理店などを利するものではあったのだが、そういうのこそが正しいというような風潮、というか出来ればそっち側についた方が良いのではないかというような空気感は確かにあったように思える。私が浜田省吾のレコードを一枚も買ったことがない理由は、おそらくここにあったような気がしている。

この頃、シティ・ポップ・リバイバルで再評価されたような印象がある浜田金吾のキャッチコピーが、「浜田といえば金吾です」だった。もちろん、浜田省吾の存在を意識したものであろう。

佐野元春と共に大滝詠一のナイアガラ・トライアングルに参加することによってブレイクした杉真理は慶應義塾委大学出身で竹内まりやなどとも交流があり、シティ・ポップのアーティストとして見なされているのだが、1985年のアルバム「SYMPHONY #10」に「Key Station」という曲が収録されていて、後にシングル・カットもされた。

この曲においては大滝詠一、山下達郎、伊藤銀次、佐野元春といったナイアガラ系アーティストや松任谷由実などと混じって、浜田省吾についても言及されている他、ゲスト・ボーカリストとしても参加している。

シティ・ポップの中で、浜田省吾のボーカルにはやはりニューミュージック的な意思が感じられ、それが違和感につながっているようにも思えるのだが、有名アーティストがゲスト参加していることに単純に盛り上がっている部分もあるにはある。

2021年の2月、午前中に新宿西口の街並みを歩いていた。シティ・ポップ的な都会の気ままな生活に憧れて上京をしたところは確かにあったように思える。しかし、たとえばクリスタル・キング「大都会」や中原理恵「東京ららばい」などに聴き取ることができる都会観のようなものに感情移入するような気分はある。そして、すでにもうかなり以前から別にもうこの街ではなくてもいいようには感じているのだが、いまや抜け出せない蟻地獄的な感覚もある。というようなことを感じながら、一滴八銭屋という店で名物白肉うどんをいただき、ダイコクドラッグでビニール手袋を買った。

午後にTwitterを開くと、浜田省吾の音楽はシティ・ポップかニューミュージックか、というようなツイートが表示された。個人的にシティ・ポップだけではあり得ないと思えたのは、「東京」の印象が強かったからかもしれない。発売当時、NHK-FMの番組でこの曲を聴き、「ディスコで恋して ホテルで愛して ドライブ・インでさよなら」というような都会のインスタント・ラヴ的な日常を否定的に描いていると感じた。そういった感覚に対して否定的というよりは、むしろ憧れに近いものを抱いていた私にとっては、なんだかしらけたことを歌っているようにも思えたのだった。

それから何ヶ月かして、NHK-FMの「軽音楽をあなたに」で佐野元春の「NIGHT LIFE」を聴いたのだが、この曲では「ウィスキーソーダにインスタントLove」「コントロールできない クレイジー・ナイト」「Living in the city The Night Life」などと歌われていて、私は明らかにこっちだなと感じたのであった。

私は中島みゆきも長渕剛もニューミュージックだと思っているようなタイプであるため、浜田省吾をニューミュージックにカテゴライズすることに一切の躊躇がないし、それ以外の一体、何なのだろうかという感覚でもあったのだが、本来ならばロックに分類するべきなのだろう、などといわれてみれば確かにそうかもしれないとも考え、そもそも私が考えるニューミュージックの範囲というのがいまやあまりにも大雑把すぎて、これはもうダメかも分らんね、などといろいろなことを考えてしまった。

いずれにしても浜田省吾は実はわりと興味がありながらもこれまでちゃんと聴いたことがないアーティストでもあるので、いずれしっかり向き合ってみたいなどとも感じたのだった。

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