田中康夫「なんとなく、クリスタル」について。

田中康夫の「なんとなく、クリスタル」が発行されたのは1981年1月22日ということになっているようだが、その翌々年に発売された河出文庫版の「あとがき」ならぬ「著者ノート」によると1月20日となっている。

いずれにしても大差はなく、要は日本では近藤真彦「スニーカーぶる~す」、アメリカではジョン・レノン「スターティング・オーヴァー」、イギリスでは同じくジョン・レノンだが、こちらは10年前にリリースされた「イマジン」がシングル・チャートの1位だった頃ということである。ちなみに近藤真彦はこれがデビュー曲で、ジョン・レノンは前の月に凶弾に倒れたばかりである。

「オリコン・ウィークリー」の前身「オリコン全国ヒット速報」のベストセラーランキングで紹介されているのを見て、この本のことは初めて知ったような気がする。当時、日本文学といえば苦悩とか貧乏とかをテーマにしなければいけないのではないかというような雰囲気もなんとなくあり、裕福な大学生を主人公にしたこの作品は、あんなものは文学ではない、などと批判されることも少なくはなかったかと思う。

当時、私は校則により頭髪が五分刈りだったにもかかわらず、片岡義男のサーフィン小説を読み、「夏はただ単なる季節ではない。それは心の状態だ」などと呟くタイプのコンセプトがブレまくりのフォーティーンだったわけだが、「なんとなく、クリスタル」は読んでいなかった。

それでも、なんとなく権威的な大人たちから批判されがちなところや下世話なジャーナリズムにスキャンダラスに取り上げられたりしているところから、なんとなくこれは良いものなのではないか、という予感は感じていた。

それで、高校に入学すると髪も伸ばしていいし校内暴力もないし佐野元春の話ができる女子もいるし、ヘヴンリー(元タルーラ・ゴッシュのアメリアちゃんがやっていて、最近、シングル・コレクションが出た最高のギター・ポップ・バンドとは関係ない)にブロウアップで、うれしすぎて最高、だから余計に終わりを考えてしまう、というような気分だったのだが、それで「なんとなく、クリスタル」の単行本も買って読んだ。

AORが好きで都会的でおしゃれな若者のライフスタイルが描かれている小説だな、と感じた。あと、註釈の量がものすごくて、そこに込められたエスプリが利いた皮肉のようなものもユニークだなと感じたのであった。

ちなみに、1つめの註釈は「ターン・テーブル」という単語に対して付けられているのだが、「甲斐バンドやチューリップのドーナツ盤ばかり載せていると、プレーヤーが泣きます」とある。これ以外にも、ニューミュージック的なものに対する嫌悪感とでもいうものが、小説全体から漂っている。

当時から私が大好きだったビリー・ジョエルについては「ニューヨークの松山千春」、それからビリー・ジョエルとドナ・サマーを一緒のカセットに入れているようなタイプの男のことがバカにされていたりもするのだが、当時の私などはレイ・パーカーJr.とザ・フーとケニー・ロジャースを同じカセットに入れて聴いていたりしたので負ける気がしない(つまり、負けている)。

それでも、田中康夫がムカつく、とはならずにかなり好感を持っていた。それはやはり、田中康夫を嫌っているエスタブリッシュメント的な大人の男社会のようなものの方がもっとずっと大嫌いだったからかもしれない。

「森田一義アワー 笑っていいとも!」が放送開始されたのは1982年10月だが、ごく初期のコーナーに「五つの焦点(フォーカス)」というコーナーがあり、共に一橋大学出身の田中康夫と山本コウタローがレギュラー出演していた。そもそも、「森田一義アワー 笑っていいとも!」という番組は、その前にやっていた「笑ってる場合ですよ!」の楽屋で漫才ブームの残党的なレギュラー陣が女の話ばかりしていることに、プロデューサーの横澤彪が危機感を覚え、もっと知的な番組をというようなコンセプトではじめた、というような話があったような気がする。

当時のタモリはどちらかというと、すでに人気のピークを過ぎているように思われていたようなところがあり、「森田一義アワー 笑っていいとも!」がはじまった時の感じというのは、どうしていまさらタモリなのだろうとか、そもそも「いいとも!」というタイトルもどうなのだ、とかそのようなイメージだったような気がする。

「五つの焦点(フォーカス)」などは番組が当初、知的な路線を狙っていたことの証しのようにも思えるが、ある回で収録中にビートたけしが乱入し、田中康夫の首をしめるというようなことがあり、これを最終回で爆笑問題がオマージュしていたと思う。「笑っていいとも!増刊号」では生放送が終わった後のシーンが流れたりもするのだが、田中康夫が変態走りとかいうのをやっていて面白かった。それが放送されたことに対し、「オレはムッたね」と田中康夫は言っていたような気がする。

あと、「花の82年組」でアイドルブームだったのだが、田中康夫がその中でタイプなのは松本伊代と早見優と言っていて、まったく私と同じだったのも良かった。このことに何十年も経った後のTwitterで私は触れたのだが、リプライが届いた形跡があったものの消されていたので読めなかった。「よい子の歌謡曲」の読者欄に久しぶりに面白い雑誌だと思った、というような投書が掲載されていたことも印象的であった。

80年代半ばにはテレビ東京で「東京おもしろジョーズ」とかいう番組を確かやっていて、田中康夫と泉谷しげるがレギュラーなのだが、会話がまったく噛み合わないというのもあったような気がするのだが、すでに確証がない。

「なんとなく、クリスタル」は映画化もされているのだが、あまりヒットしなかったらしく、映像ソフト化もされていない。しかし、テレビで放送されたことはあって、私はそれを録画して観たのだが、それでスパゲティーバジリコという単語をはじめて知った。10年以上後にスチャダラパー「南極物語」で「青カビのっかったうどん」とも表現される料理である。

「いまどき真っ当な料理店」で初台の吉野家だとか高田馬場の餃子荘ムロなどが取り上げられていたのはとても良かった。「ミュージック・マガジン」の年間ベスト・アルバムでよく分からない輸入盤ばかり挙げていたこともあったような気がする。お食事とセックスとをセットにした「オショックス」というのを提唱していたような気もするが、あれは猛烈に流行らなかった。

糸井重里などの文化人コミュニティ的なものを揶揄していたが、橋本治と南伸坊だけは違うような気がする、というようなことも確か書いていたはずである。にもかかわらず、なぜか「音版ビックリハウス」というカセットで花編こと高橋章子編集長と「ブリリアントなクリスタルカクテル」なる曲をデュエットしていたのもかなり良い。

「森田一義アワー 笑っていいとも!」といえば、後にたけし軍団の井出らっきょとなる井出ひろしがピン芸人としてものまね講座的なコーナーを持っていたのだが、持ちネタの中に「ボク、田中康夫です。アァアァアァアァー」というようなやつがあったような気がする。

それから、長野県知事の頃のドキュメンタリー番組で、なぜか急に「めえめえ 森のこやぎ~♪」などと歌い出し、記者かカメラマンのような人がそんな歌は知らないというようなことを言うと、「あるよ、童謡で」などと言っていたのも良かった。

それはそうとして、「なんとなく、クリスタル」は1980年6月の東京を舞台にしたリッチな若者の話ではあるのだが、巻末に統計資料のようなものが載っていて、そこでこんな豊かな時代は長くは続かず、いずれ深刻な高齢化社会が訪れることを予見してもいる。当時、ここに着目する批評家などはほとんどいなかったのではないだろうか。

また、様々なブランドやアーティスト名などが出てくることから、エスタブリッシュメントからはカタログ小説などと揶揄されもしたこの作品だが、そういった人たちも会社での役職や文化勲章的なものといった精神的ブランドにすがっているという点では何ら変わりがないというようなことを言っていたのは、実に痛快であった。

当時の日本において、田中康夫という存在はオルタナティヴでパンキッシュでニュー・ウェイヴでもあったわけで、それでも趣味嗜好的にはAORなコンサバティブという、実にユニークなねじれ現象が生じていたということを、いまならば理解することができる。

「なんとなく、クリスタル」の主人公である由利などはシドニーに住む両親から仕送りをもらっている上で、モデルの仕事で月収40万、恋人は大学生なのだがフュージョンバンドでそこそこ売れていて、神宮前のマンションで一緒に暮らしているという、一般的な感覚からするとひじょうに裕福な環境にいる。当時の東京の若者の誰もがこういった生活を送っていたわけでは、もちろんまったく無いわけではあるが、この時代におけるこの国のある断面をひじょうにユニークな方法で切り取った作品としての価値は高いように思える。

そして、たとえばアメリカにおける映画「アメリカン・グラフィティ」のように、この国が再びこの頃のイノセンスに立ち戻れることはおそらく未来永劫あり得ないという意味においても、味わい深いといえるのではないか。

まったくの余談だが、「なんとなく、クリスタル」には千駄木が出てきて、いまでもまだある和紙店のいせ辰が登場したりもするのだが、上京したばかりの頃に偶然、千駄木ではなく千駄ヶ谷にいた私は実はその区別が付いていなく、「なんとなく、クリスタル」で田中康夫が書いていたのとは随分と雰囲気が違うな、それだけ数年間のうちに街の雰囲気も変えてしまうのが東京のスピードなのか、などと勝手に思っていたのだが、まったく違う街なのだから当然であり、それからかなり後に訪れた千駄木には「なんとなく、クリスタル」で描かれた雰囲気がまだ残っているように思えた。

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