フィル・スペクターの音楽について。

月曜日だったので通常よりも早く起床して仕事の準備を整えていたのだが、思いのほか早く終わり、Twitterを開いて少しだけスクロールしたところでフィル・スペクターの訃報を知った。81歳だったという。

2003年に女優のラナ・クラークソンを射殺した容疑で逮捕され、その刑務所内で亡くなったとのことである。

フィル・スペクターの名前を初めて聞いたのがいつだったかについては、よく覚えていない。しかし、私がポップ・ミュージックを意識的に聴きはじめた1980年代はじめは、フィル・スペクターから影響を受けた音楽を聴きやすい時代だったのかもしれない。

天才プロデューサーとしてその名をポップ・ミュージック史に残すフィル・スペクターの最初のヒットは1950年代後半、ボーカル・グループ、テディ・ベアーズの一員としてリリースした「逢った途端にひとめぼれ(To Know Him Is To Love Him)」であった。

1991年の秋にリリースされたフィル・スペクターの4枚組CDボックス「バック・トゥ・モノ(1958-1969)」のディスク1も、この曲からはじまる。ポップ・ミュージックについて書かれた本などで読んで曲名は知っていたのだが、聴くのは初めてのはずだった。しかし、この曲をすでに聴いたことがあると感じた。

実際には1982年の初めにこの曲のカバー・バージョンを聴いていた、というか、買ったレコードに入っていたのである。当時、正月にはオールスターかくし芸大会的な番組が毎年放送されていて、堺正章のように本格的なかくし芸のようなものを披露する芸能人もいる一方で、人気アイドルなどがたくさんキャスティングした映画などのパロディーをやるだけという、これのどこがかくし芸なのだと思えるようなものもあった。しかし、人気の芸能人がたくさん出演しているし、お祭りムードもなんとなく感じられるので、好きでよく観ていた。

その年には田原俊彦を主人公にした「アメリカン・グラフィティ」のような感じの青春ドラマをやっていて、ヒロイン役の岩崎良美に「酔っぱらいは嫌いよ」などと言われて殴られたりしていた。ラストシーンではボビー・ヴィントンの「ミスター・ロンリー」が流れる中、田原俊彦が哀愁を漂わせながら歩いて終わったと思う。これを観て純粋に良いなーと思ったわけだが、それで西武百貨店に入っていたレコード店で「アメリカン・グラフィティ」ではなく「グローイング・アップ」のサウンドトラック盤を買った。どちらもアメリカのオールディーズがたくさん流れる青春映画だった。お年玉の残りがまだ少し残っていたので、その時にローリング・ストーンズの「刺青の男」も買った。

「逢った途端に一目ぼれ」は「グローイング・アップ」のサウンドトラック盤に入っていたのだが、テディ・ベアーズではなくジョー・モスというアーティストによるバージョンであった。

ちなみになぜ田原俊彦を「酔っぱらいは嫌いよ」と言って殴るヒロイン役が松田聖子や河合奈保子ではなく岩崎良美だったかというと、オールスターかくし芸大会的な番組は東西対抗になっていて、出身地によってチームが分けられていたからである。つまり、山梨県出身の田原俊彦と東京都出身の岩崎良美は東軍、福岡県出身の松田聖子と大阪府出身の河合奈保子は西軍ということである。

当時、部活をやっていない中学生が家に帰り着くぐらいの時間帯からNHK-FMで「軽音楽をあなたに」という番組が放送されていて、オープニングテーマがスタッフの「マイ・スウィートネス」だったとかはまあ良いのだが、この番組によって佐野元春の音楽と出会ったことは、個人的にひじょうに重要であった。1981年の春だったような気がする。ミュージックショップ国原で買った「Heart Beat」のレコードを文字通り、擦り切れるまで聴いたわけだが、その頃、シングル「SOMEDAY」が発売されてラジオでよくCMも流れていたのだが、アルバムに収録されたら買おうと思っていた。そのうち佐野元春は大滝詠一のナイアガラ・トライアングルに参加し、ブレイクするわけだが、今回のフィル・スペクターの訃報に際して佐野元春がFacebookで公開した文章によると、子供の頃にテレビの歌番組で弘田三枝子がザ・ロネッツ「ビー・マイ・ベイビー」を歌うのを観て、楽しい気持ちが広がって、それがポップ音楽の目覚めであり、大人になってプロのアーティストになってからは大滝詠一からフィル・スペクター・サウンドについて教わり、それがきっかけで「SOMEDAY」が生まれたということである。

佐野元春と同じ1956年生まれの桑田佳祐は1983年のアルバム「綺麗」に収録された「MICO」を弘田三枝子に捧げ、「Japanese Diana Ross」などと評していることなどから、その世代の人々にとってはとても重要なシンガーだったのだろう、と想像したりもする。

大滝詠一の「A LONG VACATION」はその年の3月21日に発売され、オリコン年間アルバムランキング2位の大ヒットを記録するのだが、これなどもフィル・スペクターのサウンドから影響を受けていたと思える。大滝詠一がこのアルバムのヒントになったといっている曲として、J.D.サウザーの「ユア・オンリー・ロンリー」がある。この曲は1980年にリリースされ、日本でもポップなAORとしてかなり人気があったような気もする。とはいえ、タイトルからも想像ができるように、ロイ・オービソン「オンリー・ザ・ロンリー」にインスパイアされてもいて、オールディーズ的なポップ感覚を洗練された都会的サウンドでやっているという点では、「A LONG VACATION」とも共通点があるといえる。

思えばブルース・スプリングスティーン「ハングリー・ハート」、シーナ&ザ・ロケッツ「ユー・メイ・ドリーム」、岡崎友紀「ドゥ・ユー・リメンバー・ミー?」といった、それぞれジャンルが異なる1980年のヒット曲にもすべて、似たような構造があるように思える。

この年から私は「全米TOP40」を本格的に追いかけはじめるのだが、その過程でダリル・ホール&ジョン・オーツ「キッス・オン・マイ・リスト」という最高のレコードを手に入れることになる。そのB面には、アメリカではすでにシングルとしてヒットしていた「ふられた気持」という曲が収録されていた。当時は知らなかったが、フィル・スペクターがプロデュースして大ヒットしたライチャス・ブラザーズの曲のカバーである。

80年代の半ばを少し過ぎた頃だっただろうか、私は青山学院大学厚木キャンパスでの講義を終え、本厚木駅前行きの神奈川中央バスに揺られていた。そう、あの有隣堂書店の前に停まるバスである。選択科目の教室で見かける活発な女の子が、ザ・ロネッツ「ビー・マイ・ベイビー」の話を熱っぽくしていた。オールディーズの曲はたくさんあるのに、どうして「ビー・マイ・ベイビー」だけがあんなにも特別に良いのだろう、と。こんな素的な女の子が良いというのだから、この曲は良いに違いない。私は六本木WAVEでザ・ロネッツ「ビー・マイ・ベイビー」が収録されたフィル・スペクターのベスト・アルバムを買って、夕暮れのワンルームマンションでうっとりしながら聴いていたのだった。

彼女とは学食やバス停で、それから「ビー・マイ・ベイビー」やポップ・ミュージックの話を何度かしたと記憶しているが、それ以外の話はした記憶が一切ない。帰国子女でお金持ちだったので、住む世界が違ったということはいうことができるのだが、それでもそこですら共通の話題を生むのだからポップ・ミュージックというのは本当に素晴らしいな、と感じた。それから彼女が留学する直前、神宮前のバンブーというイタリアンレストランで開催された送別会には金持ちの美男美女が集まっていて、私のような者はまったく場違いではあったのだが、招待してくれたことはとてもうれしかった。彼女とは二言ぐらいしか話せなかったとしてもだ。それからエアメールが届いたけれども、返事は書いたのか書かなかったのか、いまとなってははっきりと思い出すことができない。

フィル・スペクターのクリスマス・アルバムは「レコード・コレクターズ」などで名盤だと紹介されていたので、CD化された時に買ったのだが、確かに気に入ってよく聴いていた。町田のディスクユニオンで買ったと記憶しているのだが、その少し後にこの店では私が世界で最も素的だと思う、フリッパーズ・ギターについての文章を書かれた方がアルバイトしていたらしい。

「バック・トゥ・モノ(1958-1969)」という4枚組CDボックスは、渋谷のレコファンで買った。東急ハンズの向かい側にある、1階がディスクユニオンでFRISCOなども入ったビルにあった頃である。ザ・ロネッツ「ビー・マイ・ベイビー」、ザ・クリスタルズ「ダ・ドゥー・ロン・ロン」、ライチャス・ブラザーズ「ふられた気持」、アイク&ティナ・ターナー「リヴァー・ディープ・マウンテン・ハイ」をはじめ、フィル・スペクターがプロデュースした曲がたくさん入ったCD4枚組で、そのうちの1枚はクリスマス・アルバムだった。経済的にそれほど余裕があったわけではないので、あらかじめ持っていたクリスマス・アルバムの方はレコファンに売った。

このボックス・セットの優れていた点の一つとして、「バック・トゥ・モノ」と書かれた赤い缶バッジが付いていたことである。私はこれを千鳥格子のジャケットにつけて、よく遊びに行ったりしていたのだが、そのうちに壊れてどこかに行ってしまった。「バック・トゥ・モノ(1958-1969)」のボックスをいまでも持っているのだが、缶バッジが入っていたところは空いたままである。

フィル・スペクター・サウンドの特徴は、ウォール・オブ・サウンド、音の壁といわれるようなもので、とにかく音が厚く重ねられ、壁のようになっていることによって、過剰なロマンティシズムとでも呼ぶべきものが出現している。これは10代の苦悩というようなものと関係しているようにも思え、それこそがポップ・ミュージックの本質のようにも思える。

フィル・スペクターがプロデュースした数々の楽曲は1960年代に大ヒットして、それと同時にひじょうに極端でマニアックでもあり、それはビートルズやビーチ・ボーイズまでをも刺激した。今日のポップ・ミュージックに与えた影響は図り知れなく、それがなければ世の中はもっとつまらなかったのではないか、ということが言えるような気もする。

とはいえ、それがどの程度につまらなかったかについては想像ができないのと同時に、それまでものすごく好きだったアーティストがドナルド・トランプ元アメリカ大統領をカジュアルに応援していたことを知っただけで百年(実際には7年)の恋も冷めるほどに失望するくせに、殺人の疑いで収監されていた音楽プロデューサーに対してはどうなのだ、とかいろいろなことは自分自身でも考えなくはないのだが、それはそうとして何も言えなかったり、言う気がしなかったとしても、完璧なポップ・ソングとはたとえばどれかと問われた場合に、私はザ・ロネッツ「ビー・マイ・ベイビー」と答える可能性が高く、それをプロデュースしていたのはフィル・スペクターである。

深くご冥福を祈る。

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