スリーフォード・モッズ「スペア・リブス」について。

スリーフォード・モッズはイギリスはノッティンガム出身の2人組ユニットで、アンドリュー・ファーンがクリエイトしたミニマルでエクレクティックなトラックに乗せて、ジェイソン・ウィリアムソンが政治や社会に対する批評や小言のようなものをラントするという音楽スタイルでやっている。結成は2007年だが、この2人組になったのは2012年、いくつかのアルバムをリリースしているが、2015年の「キー・マーケッツ」が全英アルバム・チャートで最高11位、続く「イングリッシュ・タパス」が12位、一昨年にリリースされた「イートゥン・アライヴ」では9位と、コンスタントなセールスを記録している。メンバーはそれぞれ1971年と1970年生まれであり、今年で2人とも50代ということになる。

2021年の年明け早々にリリースされた最新アルバムが「スペア・リブス」で、これが過去最高傑作ではないかといくつかのメディアではいわれているようだ。

新型コロナウィルス感染拡大防止のためのロックダウン下、3週間程度で制作されたというこのアルバムのタイトルは「スペア・リブス」。もちろん即座に肉料理のことを想像してしまうのだが、このタイトルについてジェイソン・ウィリアムソンは新型コロナウィルスの第1波で亡くなった人々の数を数え、特権階級にとって一般庶民というのは代わりの肋骨のようなものでしかないのだ、というようなことを考えて付けた、などと語っている。

歌詞にもまさに新型コロナウィルス禍におけるイギリス政府の対応などによって、持つ者と持たざる者との間にある格差、保守党の政権が続いていることに対する不満と怒りと停滞感がよりリアルでヴィヴィッドな表現として体感されやすい状況にもなっていて、コンセプトの軸はこれまでと基本的には変わらないものの、その辺りでプロテスト・ミュージックとしての強度が高まっているように思える。

というようなことを言ってしまうと、聴くからに怒りに満ち溢れた攻撃的な音楽家というと、そんなことはなく、それらを独特のセンスとグルーヴで表現しているところが、このアルバムの特徴のようにも思える。特にアンドリュー・ファーンがクリエイトするサウンドは、ニュー・ウェイヴ、ポスト・パンク、テクノ・ポップ、エレクトロ、ヒップホップ、パンク・ロックのいずれをも思い起こされるところがあり、曲によっては初期のLCDサウンドシステムあたりに通じるところも感じられたりする。

こういったタイプの労働者階級の怒り的な表現というのは、文学やポップ・ミュージックの分野において、イギリスでは古くからあるのだが、たとえば80年代の日本などで接している分には作品そのものは好きだったとしても、その背景にある怒りや諦念にまでは想像力をはたらかせるのが難しいという部分があった。それは、イギリスは階級社会であるのに対し、日本は一億総中流社会などといわれていたからである。

「四畳半フォーク」という言葉を発明したのは松任谷由実だというようなことが、「ルージュの伝言」という著書には書かれているのだが、これが出版された1984年はシティ・ポップ的な感覚が歌謡曲レベルにまで浸透した年だということがいわれていたりもする。「四畳半フォーク」というのは、いわゆるかぐや姫の「神田川」のようなものをいうのだと思うが、それに対して「有閑階級サウンド」だとか「中産階級サウンド」だとかと「ルージュの伝言」で言及されていたものが、ニューミュージックであったりシティ・ポップと呼ばれるようになったのであろう。

その時代に日本の一般大衆が支持する音楽が変わっていったのには、当然、欲望の質の変化というのが関係しているのであり、「四畳半フォーク」的なものから「中産階級サウンド」的なニューミュージックへの移行は、生活水準の向上が強く影響しているものだと思われる。

貧困がふたたび現実的な問題として顕在化してきている、「ルージュの伝言」の出版から37年後の日本においては、「中産階級サウンド」的なシティ・ポップのリバイバルが起こっている。それは絶望や諦念の果て、ファンタジーやノスタルジーに逃避するぐらいしか術がないとか、意味なんてどこにも無いことはあらかじめ分かっていたとか、こんな状況で東京のボンボンがつくった音楽を聴く気にはなれないとか、そんなことを言う人はそもそもそのような音楽がはじめからそれほど好きではなかったのではないかとか、いろいろな意見があるようである。

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