1984(昭和59)年を20曲で振り返ってみる。

1984年がはじまる直前にジョージ・オーウェルの小説「1984年」が話題になり、年の瀬に旭川の冨貴堂書店かブックス平和あたりでハヤカワ文庫で出ていたやつを買ったような気がする。その後で映画にもなって、ユーリズミックスが主題歌を歌っていたのだが、これは覚えていない。そんな1984(昭和59)年のことを、個人的に思い入れが強く、この年のサウンドトラックともいえる20曲を交えながら記録していきたい。

そして、この20曲というのはけして当時の一般大衆的に印象深い曲ばかりとは限らず、あくまで個人的なものになってしまっていることを初めにお断りしておく。「This is…POP?!」などというあたかも客観性を装ったかのようなタイトルでこのブログを新たにはじめたものの、早くもビートたけしが「オールナイトニッポン」で言ったところの、「この番組はナウな君たちの番組ではなく、完全にオレの番組です」というようなものになりそうな予感でいっぱいである。

1. Rock’n Rouge/松田聖子

これはカネボウ化粧品のCMソングでもあり、春らしくてポップでとても良い曲。作詞は松本隆で、作曲は呉田軽穂こと松任谷由実である。さらに編曲が松任谷正隆なので、全員、苗字が「松」の字ではじまる。それはまあ良いのだが、このシングルはオリコンでも「ザ・ベストテン」でも1位になり、中森明菜の「北ウィング」よりも数万枚だけ多く売れている。それで、この次のシングルから中森明菜の方が売れるようになっていく。その境目ともいえる曲である。

前の年にリリースされた「ガラスの林檎/SWEET MEMORIES」「瞳はダイアモンド/蒼いフォトグラフ」でかなりのクオリティーに達していた印象があり、そこへいくとこの曲の印象はとても軽いのだが、それがこの季節にはちょうどよかった。スポンサーからの指定だったという「PURE PURE LOPS」というキャッチーなフレーズ、「KISSはいやと言っても反対の意味よ」という「嘘よ 本気よ/好きよ 嫌いよ」路線の継承と、魅力たっぷりのスプリングポップ(こんな言葉まったく聞き覚えがないが)といえよう。

2. 恋のKNOW-HOW/松本伊代

80年代のアイドルで誰が一番好きかと問われると、間髪入れずに松本伊代と即答できるのだが、アイドルというだけにとどまらず、ボーカリスト、タレント、パーソナリティーとして、とにかく全部がたまらなく好きである。しかし、中高生のアイドルファンにありがちな疑似恋愛的な感情というのは一切なかった。その無意識過剰気味な存在感に自由を感じていて、ものすごく憧れていたのではないかとも思う。あとは、東京の女の子だという部分をとても強く感じてもいた。

1981年の秋にレコードデビューしているのだが、各音楽祭の新人賞では82年デビュー扱いとなるため、いわゆる「花の82年組」とされているが、レコードセールス的にはそのトップクラスではなかった。この曲は前の年の秋にリリースされてヒットしたバラード「時に愛は」に続いて尾崎亜美の楽曲で、今回はアップテンポである。とにかくこのボーカルは唯一無二で、何を歌っても松本伊代の作品になってしまうのがすごいなと思うのと、やはりそこにある無意識過剰感がたまらなく自由だな、とそう感じたのであった。

3. Jump/Van Halen

ヴァン・ヘイレンは当時のハード・ロック/ヘヴィー・メタルファンの人たちからとても人気があったバンドである。当時、パンク/ニュー・ウェイヴ好きはハード・ロック/ヘヴィー・メタルを好きになってはいけないというような風潮がなんとなくあり、私もそんな感じだったのだが、特に主義主張があったわけではなく、パンク/ニュー・ウェイヴ的な女の子のの方と付き合いたいモチベーションの方が高い、という程度だったような気がする。というか、ほぼそれがすべてだったのだろう。

デイヴィッド・リー・ロスがボーカリストだった頃のヴァン・ヘイレンで、これが唯一の全米NO.1シングルなのだが、やはりシンセサイザーの導入など、時代のトレンドに寄せてきたところが功を奏したのではないかと思える。こういう商業主義的な態度に対して否定的な音楽ファンも少なくはないが、私はとにかく大好きである。アズテック・カメラが確かカバーしていたと思うが、暗くてモテなさそうなので、私はヴァン・ヘイレンのオリジナルの方が圧倒的に好き、というかこっちしか勝たん。

4. Girls Just Want To Have Fun/Cyndi Lauper

当時の邦題は「ハイスクールはダンステリア」、そして、アルバム「She’s So Unusual」は「N.Y. ダンステリア」だったのだが、これはシンディ・ローパー本人の異議申し立てによって、廃絶されたらしい。当時、ニッポン放送でレギュラー番組を持っていたハード・ロック/ヘヴィー・メタル系の音楽評論家、伊藤政則は当初からこの邦題はおかしいとラジオで言っていたような気がする。

それはそうとして、女の子はただ楽しみたいというこの曲はとにかくキャッチーでとても良い。「タイム・アフター・タイム」「トゥルー・カラーズ」といったバラードも素晴らしいが、個人的にはとにかくこれが好きで、レベッカ「ガールズ ブラボー!」とのマッシュアップに一時期、凝っていた。

5. My Ever Changing Moods/The Style Council

当時、日曜の18時からNHK-FMで「リクエストコーナー」というまったく何のひねりもないタイトルの神がかった番組があり、全米や全英のヒット・チャートにランクインした曲を、日本では未発売のものを含め、ノーカットで流してくれていた。それをかなりの頻度でカセットテープに録音していたのだが、この「マイ・エヴァ・チェンジング・ムーズ」もその番組で初めて聴いた。

とにかく気に入って何度もカセットテープを再生した末に、この曲が収録されているというアルバム「カフェ・ブリュ」をミュージックショップ国原で買ったのだが、ピアノ弾き語りのような別バージョンが入っていた。しかし、アルバムはかなり良かったので、不満を持つことはけして無かった。上京してから西武百貨店池袋本店のエレベーターの近くの大型モニターでこの曲のビデオが流れていて、日曜日などにじっと観ていた記憶がある。

6. They Don’t Know/Tracey Ullman

イギリスでは前の年にすでにリリースされていたのだが、アメリカではこの年になってからヒットしていた。60年代風というかレトロな感じなのだが、そこが逆に新しいというかそんな感じだったような気がする。元々はカースティ・マッコールの曲である。邦題は「夢みるトレイシー」だったと思う。

7. New Song/Howard Jones

この曲も前の年にはイギリスで出ていたが、この年になってアメリカでリリースされた。ハワード・ジョーンズのデビュー・アルバムは人工的な印象が持たれがちなシンセ・ポップというサブジャンルにあって、人間味のようなものがなんとなく感じられるという点で好評だった。「ミュージック・マガジン」のクロス・レヴューで、中村とうようも9点を付けていたのが印象的であった。

8. サザン・ウインド/中森明菜

この年の中森明菜のシングルといえば「北ウイング」も「飾りじゃないのよ涙は」も良いのだが、夏をテーマにしているというだけで2.8割増しぐらいで好きになってしまう私としては、やはり玉置浩二が作曲をしたこの曲である。

このシングルからセールスが松田聖子と逆転していくのだが、中森明菜のボーカルはかなり本格的であり、私のような下世話なミーハーが好きになるには何らかの引っかかりがあった方が俄然、有利という話ではある。そこへいくとこの曲などは、ヒットしたばかりのイエス「ロンリー・ハート」に大胆にインスパイアされているところなどがとても良い。ジャケット写真がかわいいのも好ポイントである。

9. もう一度/竹内まりや

休養期間を経てリリースされた竹内まりやの約3年ぶりとなるシングルで、「本気でオンリーユー(Let’s Get Married)」との両A面であった。テレビドラマ「くれない族の反乱」の主題歌にも使われ、オリコン週間シングルランキングでは最高20位を記録した。イントロから夫でもある山下達郎のコーラスが印象的なこの曲は、アルバム「VARIETY」からの先行シングルでもあった。

「VARIETY」といえば近年のジャパニーズ・シティ・ポップブームのシグネチャー的楽曲となった「プラスティック・ラヴ」も収録されているが、当時はアルバムの代表曲という感じではまったくなかった。オールディーズ的なイメージが強いこのアルバムにおいては、むしろ異色という感じだったような気がする。

10. ファーストデイト/岡田有希子

オーディション番組「スター誕生!」出身のアイドル歌手、岡田有希子のデビュー・シングルで、竹内まりやが楽曲提供している。「クラスで一番目立たない私」が初めてのデートを前にしていだく不安と期待を歌詞だけではなく、曲調そのものでもあらわしている。優等生タイプのイメージは、愛知県内でもトップクラスの学力だったという岡田有希子に合っていたように思える。この年にデビューしたアイドルといえば、菊池桃子がいる。夏休みに札幌のデパート屋上で行われたキャンペーンに行った。ミニライブと握手会があったのだが、当時はリリースイベントとか特典会とかレギュレーションとかいう言葉をこういう場ではまだ使っていなかったような気がする。

11. COMPLICATION SHAKEDOWN/佐野元春

佐野元春のアルバム「VISITORS」の1曲目に収録され、後にシングル・カットされた。ヒップホップの要素を早くから取り入れた日本のポップ・ソングとしても知られている。ベスト・アルバム「No Damage」がオリコン週間アルバムランキングで1位になり、人気絶頂だった頃に単身渡米し、現地のミュージシャン達とレコーディングされた作品である。当時の日本のポップ・ミュージックとしては革新的だったその音楽性に戸惑いを覚えるファンも少なくなく、賛否両論があったが、各メディアでの日本のロック&ポップス名盤的な企画では挙げられることが多いアルバムである。

12. Dancing In The Dark/Bruce Springsteen

ブルース・スプリングスティーンのアルバム「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」からの先行シングルで、全米シングル・チャートで最高2位を記録した。シンセ・ポップ全盛の時代にストレートなロックが新鮮に響いたが、シンセサイザーの導入など、時代のトレンドに寄せたようなところもあり、そこが大きなヒットに繋がった要因かもしれない。アーサー・ベイカーによるダンス・リミックスが収録された12インチ・シングルもあった。

13. When Doves Cry/Prince &The Revolution

プリンス自身が主演した映画「パープル・レイン」のサウンドトラック・アルバムから先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートではこのアーティストにとって初の1位に輝いた。密室的なファンクネスが横溢した、全米NO.1ヒットとしてはいかにも異質な楽曲だが、これが当時のポップ感覚でもあったのである。これ以降、プリンスはマイケル・ジャクソン、マドンナらと並ぶ80年代を象徴するポップ・アイコンとして知られるようになっていく。

14. ミス・ブランニュー・デイ/サザンオールスターズ

アルバム「人気者で行こう」からの先行シングルで、オリコン週間シングルでの最高位は6位だが、アルバム発売後も売れ続け、ロングヒットを記録した。当初はよりAOR/シティ・ポップ的な「海」がシングル候補だったというが、デジタルなサウンドを導入したこの曲を先行シングルにすることによって、当時のこのバンドの魅力でもあった実験性と大衆性との絶妙なバランスを世に広く知らしめることになったようにも思える。歌詞は社会批評のようなものとして捉えられなくもないが、おそらく深い意味はなさそうなところが健全でとても良い。

15. Pride (In The Name Of Love)/U2

この年の秋からようやく日本でもMTVの放送がはじまった。とはいっても、現在のようにMTVジャパンがあるわけではなく、テレビ朝日がMTVの番組を放送していたということである。深夜に眠い目をこすりながら観ていたのだが、「ベストヒットUSA」に慣れていた者にとっては、ただミュージック・ビデオを淡々と流し続けるだけの番組構成は単調なようにも思えた。その頃、デヴィッド・ボウイ「ブルー・ジーンズ」などと共によく流れていた印象があるのが、U2の「プライド」である。イギリスではすでに人気が高かったが、アメリカではこの曲が初のトップ40ヒットであった。アルバム「焔(ほのお)」からの先行シングルである。

16. 天国にいちばん近い島/原田知世

ニューカレドニアで撮影された主演映画の主題歌で、オリコン週間シングルランキングで1位を記録した。作曲は林哲司で、そのシティ・ポップ的な楽曲が原田知世の透明感溢れるイメージとマッチしていたように思える。

17. Like A Virgin/Madonna

ディスコ・ポップ的な楽曲をいくつかヒットさせていたマドンナだが、ナイル・ロジャースがプロデュースしたこの曲を初めてラジオで聴いた時には、一気にメジャー感が増していて、これは本気で売れようとしにきているし実際に売れるのだろうな、と思っていたらその通りになった。主張する女性ポップ・アーティストの先駆者的存在でもあるマドンナが全米シングル・チャートで初めて1位に輝いたのがこの曲であった。クエンティン・タランティーノ監督の映画「レザボア・ドッグス」の冒頭でこの曲の解釈を巡る会話が繰り広げられるなど、ポップ・カルチャー的な価値も高い。

18. No More Lonely Nights/Paul McCartney

ポール・マッカートニーの映画サウンドトラック・アルバム「ヤァ!ブロード・ストリート」からの先行シングルで、全米シングル・チャートで最高6位を記録した。この曲のビデオもMTVで観た記憶がある。メロディーとボーカルが温かくて優しく、当時、大学受験を控えた冬の寒い部屋で聴いていた感覚が思い起こされる。

19. NEW YORK SNOW きみを抱きたい/RCサクセション

RCサクセションが東芝EMIに移籍して最初にリリースされたアルバム「FEEL SO BAD」は、この年の11月23日に発売された。友人がやっていたアマチュアバンドのライブに1曲だけ飛び道具的な役割で参加してほしいといわれ、そのリハーサルの日にミュージックショップ国原で買った。外は雪景色であった。RCサクセションの好きな曲や名曲ランキング的な企画で、「FEEL SO BAD」のB面1曲目に収録されたこの曲が選ばれることはめったに無い。少なくとも私は見たことが無い。しかし、個人的には寒い冬の日に恋人と一緒に家で過ごそうというこの曲がたまらなく好きで、かといってもっと認められるべきだとも特には思わない。ただただ好きな曲であり続けている。

20. Do They Know It’s Christmas?/Band Aid

デュラン・デュラン、カルチャー・クラブ、ワム!、U2、ザ・スタイル・カウンシルなど、当時、大人気だったバンドのメンバーが大勢、参加したチャリティー・シングル。エチオピアの飢饉を救うという大義がもちろん大切なのだが、次々と人気アーティストが登場するビデオの豪華さに目を奪われていた。女子たちも呼んで友人の家で行ったクリスマスパーティーで、この曲のビデオを観たような気もするし、観なかったような気もする。バンドはアースシェイカーの「モア」か何かを演奏していたような気がする。暗くなった部屋にテレビだけが光っていて、「TV海賊チャンネル」の「ティッシュタイム」が流されていた。「オールナイトフジ」は北海道では観ることができなかった。

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