ビートたけし「俺は絶対テクニシャン」について

ビートたけしのデビュー曲「俺は絶対テクニシャン」が発売されたのは、1981年2月21日であった。というか、これはそもそもツービートのレコードとして発売され、片面にビートたけし「俺は絶対テクニシャン」、もう片面にビートきよし「茅場町の女」が収録されていたのだった。

ジャケットには前の年にベストセラーになったギャグ本「ツービートのワッ毒ガスだ」の表紙と同じようなタッチのイラストが掲載されていた。この曲を私が最初に聴いたのは「ビートたけしのオールナイトニッポン」だった。というか、当時、この番組以外で聴いたことがあるかというとよく覚えていない。

「ビートたけしのオールナイトニッポン」は「元旦や 餅で押し出す 二年糞」という言葉と共に、この年の元旦深夜、つまり日付の上では1月2日に放送が開始された。

通常、「オールナイトニッポン」のパーソナリティーが替わるのは4月か10月の改変期だったのだが、「ビートたけしのオールナイトニッポン」は1月からはじまった。当時、私は誰かから聞いたのか何かで読んだのか、それとも根拠のない思い込みだったのかは定かではないが、前任のパーソナリティーであったダディ竹千代の聴取率があまりにも振るわず、それで打ち切りになったとばかり思っていた。

そもそも、ダディ竹千代のことはおとぼけCATSというコミックバンドのリーダーだということぐらいをなんとなく知っていたぐらいで、実際のところはよく分かっていなかった。しかし、実はすごい人だったらしく、カルメン・マキ&OZにかかわっていたり山下達郎、竹内まりや、桑田佳祐などと美乃家セントラル・ステイションならぬ竹乃屋セントラルヒーティングなるバンドをラジオで結成していたりもしたらしい。

「オールナイトニッポン」では水曜2部から木曜1部に昇格したのだが、打ち切りの原因は聴取率が振るわなかったことではなく、ARBやアナーキーのメンバーをスタジオに呼んで大騒ぎしたところ、問題になり始末書を書かされたりしたことらしい。そして、「俺は絶対テクニシャン」を演奏しているのが東京おとぼけCATSでもあるようだ。

「ビートたけしのオールナイトニッポン」がはじまった頃、世の中は漫才ブームである。1980年の春に第1回が放送された「THE MANZAI」は明らかにターゲットを若手に絞ったつくりで、1979年秋から放送されていた「花王名人劇場」にも若手の漫才師が出演することが多くなっていた。「THE MANZAI」の視聴率は7月に放送された第3回から飛躍的に伸びたという記録がある。

「ビートたけしのオールナイトニッポン」がスタートした1981年の元旦には漫才ブームの中心的なコンビの一つであったザ・ぼんちがシングル「恋のぼんちシート」をリリースした日でもある。この曲はオリコン週間シングルランキングで最高2位を記録する大ヒットとなった。楽曲が軽快で親しみやすかった上に、曲中にザ・ぼんちの漫才でお馴染みのギャグていたところが、大衆のニーズと一致していたように思える。そして、ザ・ぼんちは歌も上手かったのではないだろうか。

「ビートたけしのオールナイトニッポン」はこの曲がザ・ダーツの「ダディ・クール」に似ているとネタにして、これはパクリだと騒ぎ立てるものの、作詞・作曲者の近田春夫があっさり認めたため、すぐに終息した。ザ・ダーツ側との間で話がついていたともいわれている。

漫才ブームの勢いにのって、様々な漫才師がレコードを出したが、「恋のぼんちシート」レベルのヒットには至っていない。漫才師が書いた(とされる)本もいろいろ出ていたのだが、ベストセラーになったのは前述した「ツービートのわっ毒ガスだ」ぐらいだろうか。もしかすると他にもあったかもしれないが、印象に残っているのはそれぐらいだろう。

本がそれだけ売れたのだから、レコードが売れる可能性だってあるかもしれない。「俺は絶対テクニシャン」というタイトルから嫌な予感はしたものの、イントロはテクノポップ風でナウな感じである。これは実は良いのかもしれないと思っていた矢先、ビートたけしの第一声は「んー…ビニール本!」であった。

インターネットもアダルトビデオもまだ無かった時代、最もポピュラーなアダルト媒体は紙の本であった。アダルトな音声だけを録音した、通称エロテープなる媒体もあったらしいのだが(ゴールデンタイムのものまね番組で素人の大学生のような人たちがテレビでその真似をして、あのねのねの清水国明に頭を叩かれていた)、それほどポピュラーではなかったような気がする。

それらの本は立ち読み防止の目的からなのか、ビニールで梱包されている場合が多かった。そんな訳でビニール本、略してビニ本などと呼ばれていたわけである。「俺は絶対テクニシャン」においては、まず冒頭においてそれがシャウトされたということである。

「ビートたけしのオールナイトニッポン」は深夜放送という性格上もあり、過激な内容が多かったのだが、下ネタもそれに含まれていた。当時はジャニーズ事務所のアイドル、田原俊彦、近藤真彦、野村義男のたのきんトリオが人気で「たのきん全力投球!」というレギュラー番組もあった。松本伊代はこの番組での田原俊彦の妹役オーディションがデビューのきっかけだったといわれている。「ビートたけしのオールナイトニッポン」には、ユニークな自慰行為のやり方をリスナーから募集するコーナーがあり、そのタイトルは「たまきん全力投球」であった。

「俺は絶対テクニシャン」もその流れを汲むものだと思われるが、作詞は中森明菜「セカンド・ラブ」や大橋純子「シルエット・ロマンス」なども書いた来生えつこである。この年の秋にヒットした薬師丸ひろ子のデビュー・シングル「セーラー服と機関銃」も来生えつ子が作詞をしていて、実弟でこの曲の作曲者でもある来生たかおだ「夢の途中」でセルフカバーし、どちらもヒットを記録したのであった。

と、当時は思っていたのだが、実は映画「セーラー服の機関銃」には来生たかおの「夢の途中」が決まっていたのだが、監督の大林宣彦が主演の薬師丸ひろ子に主題歌を歌わせると言い張り、来生たかおは外されたかたちとなったようである。これに来生えつこが激怒したりいろいろあったようなのだが、来生たかおも同じ曲でシングルを出すということで話はついたようである。薬師丸ひろ子が歌った方のタイトルを「セーラー服と機関銃」にするようにという注文は、角川春樹からのものだったという。

来生えつこにまつわるもう一つの激怒案件といえば、南佳孝に詞を書いた「モンロー・ウォーク」を郷ひろみがカバーした際に、タイトルが「セクシー・ユー」に変えられたことだったという。

それはそうとして、「俺は絶対テクニシャン」の作曲がエンケンこと遠藤賢司というのもすごい。

先ほどこの曲のイントロのことをテクノポップ風などと書きはしたのだが、ドナ・サマー「アイ・フィール・ラブ」やミュンヘン・サウンドなどを思わせなくもない。

歌詞は出だしから「テクノ テクノと 草木もなびく」である。そして、「カリギュラ体操 コマネチまっ青」と、ビートたけしの代表的なギャグ「コマネチ」が盛り込まれている。

「コマネチ」とはルーマニアの女子体操選手、ナディア・エレーナ・コマネチにインスパイアされたギャグである。「白い妖精」とも呼ばれたコマネチ選手のトレードマークは純白のレオタード姿だったが、ビートたけしの「コマネチ」というギャグにおける動作は、そのVラインを表現したものであった。コマネチ選手が世界的に注目を集めたのは1976年のモントリオールオリンピックからだったが、日本が出場を辞退した1980年のモスクワオリンピックにおいても金銀合わせて4個のメダルを獲得している。

「カリギュラ」は1980年に公開されたイタリア・アメリカ合作映画であり、過激な性愛シーンがあることが話題になっていた。「カリギュラ体操」とは性行為のことを表しているようにも思える。

「シンセサイザー コードだらけ」という歌詞の後、「けつまづいたり 首つりしたり」と歌われるのだが、ここにはツービートの芸風でもあったブラックユーモアが感じられる。

また、「テクニカル・バージン 夕暮れ族よ オリーブ・オイルじゃわびしすぎるぜ」という歌詞がある。「夕暮れ族」という単語から、事件としても大きく報道された売春斡旋組織、いわゆる愛人バンクの「夕ぐれ族」のことが思い出される。

しかし、調べてみたところ、愛人バンク「夕ぐれ族」が設立されたのは、「俺は絶対テクニシャン」のリリースから1年後の1982年である。これはいったいどういうことだろうか。

調べてみたところ、「夕暮れ族」という言葉そのものは、愛人バンク「夕ぐれ族」設立以前からすでに流行語になっていたようだ。

1978年に刊行され、1980年には映画化もされた吉行淳之介の小説「夕暮まで」でが、50歳の妻子ある中年男性と22歳のOLとの情事を扱っていたことから、同様のカップルのことを「夕暮れ族」と呼ぶようになったということである。

また、「テクニカル・バージン」についてはよく意味が分からなかったのだが、「夕暮まで」に登場する22歳のOLはバージンであることにこだわり、性行為はするものの、最後はオリーブ・オイルを塗った、いわゆる素股で済ませていたということである。これで、「オリーブ・オイルじゃわびしすぎるぜ」の意味も分かってくる。

歌詞カードには書かれていないが、「オリーブ・オイルじゃ」の後に「吉行!」、「わびしすぎるぜ」の後に「淳之介」と叫ばれている。

その他、歌詞カードには書かれていないビートたけしの叫びでは、「金属バット」「ヘアー解禁」「芳賀書店」「アリス出版」「南回帰線」「ヘンリー・ミラー」「コマネチ」「ピコピコハンマー」「チャタレイ夫人の恋人」「カリギュラ」「ペロペロキャンディー」「緑の山手線 真ん中通るは中央線」「応援団がチャッチャッチャッ」などがある。

当時の有名なビニール本取り扱い書店や出版社、性的描写が原因で発売禁止になった文学作品やその作者などが取り上げられているが、よく意味が分らないものもある。

「金属バット」についてだが、これは1980年11月29日に、神奈川県で20歳の予備校生が両親を金属バットで殴り殺すという衝撃的な事件があり、この頃、危険なワードとみなされていた。

この事件から約1ヶ月後に「ビートたけしのオールナイトニッポン」がはじまったのだが、その第1回目の放送では、この事件と同様に受験勉強のストレスから両親の撲殺を考えて金属バットを買ったというリスナーから相談のハガキが届いて、そのリスナーに電話をかけるという流れになる。

悩みを打ち明けるリスナーに対し、ビートたけしはどんどんやるように、というようなアドバイスをする。ニッポン放送にはたくさんのクレームが寄せられたという。さらにはテレビのワイドショーでも取り上げられる騒動に発展したようだ。

しかし、じつはこれは完全なヤラセであり、リスナー役を演じたのは番組の放送作家、高田文夫の弟子だったらしい。つまり、金属バット殺人事件のパロディーだったわけである。

続いて、「ヘアー解禁」についてである。当時、日本では画像や映像などでアンダーヘアを見せることがタブーとなっていた。海外のアダルト雑誌、実際に当時はエロ本などと呼ばれていたが、それにはアンダーヘアが写っているらしいということが中学生男子の間でもよく語られていた。

「俺は絶対テクニシャン」がリリースされた翌月、3月19日発売の「週刊新潮」に裸で街を走る行為、ストリーキングをする女性の写真が掲載され、そこにはアンダーヘアも写っていたことで大きな話題になった。マスコミでも大きく取り上げられ、その号は完売したといわれている。

その後も80年代までの日本においてはアンダーヘアはタブーであり続けたのだが、篠山紀信が撮影した写真のいくつかにアンダーヘアが写っていたが、特に問題になることもなく、タブーはなし崩し的に破られていくと同時に、ヘアヌードブームのようなものが巻き起こったりもした。決定打となったのは、当時、トップアイドルであった宮沢りえの写真集「Santa Fe」であろう。

この写真集が発売された1991年、六本木の青山ブックセンター店頭にも告知ポスターが貼られていた。六本木WAVEでの仕事を終えた私は渋谷行きのバスに乗って発車を待っていたのだが、後ろの席に座っていた地下2階の事務の女性がそのポスターを見て、なんか寒そうと言っていたのが印象的である。

まったくの余談だが、私は宮沢りえから誕生日のプレゼントにおすすめのCDを聞かれたことがあるのだが、まったく思いつかなかったので「ハッピー・バースデー」が収録されたスティーヴィー・ワンダーの「ホッター・ザン・ジュライ」をレコメンドした。人から聞いた話なので信憑性はないが、その日、同じビルの別の階にビートたけしがいたともいわれている。人から聞いた話なので、まったく信憑性はないが。

芳賀書店は1936年に巣鴨で創業した古書店だが、被災後に神保町に移転、いろいろあった末に80年代にはアダルト商品主体の店になっていたという。1985年に上京し、水道橋の予備校に通っていた時も、友人たちの間で芳賀書店といえば、そのようなものとして認識されていたようである。当時、神保町近辺にはたくさんのアダルト系の書店があったが、時々、営業停止を受けて一時的に閉まっている店などもあったような気がする。

当時、過激なアダルト系雑誌は自動販売機で販売されていることもあり、「俺は絶対テクニシャン」のビートたけしのアドリブのようなものに出てくるアリス出版というのは、その編集プロフダクションだったという。「ミッドナイトin六本木」の司会などもやっていたSF作家の亀和田武はアリス出版の名付け親だともいわれているようだ。

ヘンリー・ミラーの「南回帰線」は1939年に出版された過激な性描写が特徴の小説だがれっきとしたアメリカ文学の名作でもあり、私も大学の文学部英米文学科などというところに在籍していた頃には新潮文庫の翻訳でだが、読んだことがあったはずである。「チャタレイ夫人の恋人も」過激な性描写で問題となったらしい、1928年のこちらはイギリスの小説家、D・H・ローレンスの作品である。「カリギュラ」はやはり過激な性描写が問題視された1980年公開のイタリア・アメリカ合作映画である。その他については、よく分からない。

とにかく何となく性的なイメージの単語を連呼しただけともいえ、この中に文学作品のタイトルや作家名も入っているところが、いかにもビートたけしらしいともいえる。しかし、メンタリティー的には子供が生殖器や排泄物の俗称を連呼しているのと何ら変わりがなく、こういったくだらないことをそこそこインテリでもあるいい大人がやっているというところが、この作品の本質ではないかというような気もする。

「俺は絶対テクニシャン」はオリコン週間シングルランキングで最高77位に終わり、けして大きなヒットにはならなかったのだが、その後、テクノ歌謡の文脈で再発見されたり、数年前には石野卓球がカバーしたことで話題になったりもした。当時、ビートたけしのベスト・アルバムにも収録されていなかったこの曲だが、現在はApple MusicやSpotifyなどでも簡単に聴くことができる。新しい世代方々が「俺は絶対テクニシャン」を楽しむ上で、この解説のようなものが少しでも助けになったとすれば幸いである。

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