日本の大衆ポップス 1948-2020

日本でリリースされたポップ・ソングの中からこれは代表的なのではないかと思うものをなんとなく100曲選びだし、発売日順に並べることによってコンパクトな日本ポップ・ミュージック史のようなものが見えてはこないだろうか、という感じでやってはみたものの、どうしても個人的な趣味や嗜好は反映してしまうもの。

とはいうものの、とりあえずやってみたので発表していきたい。選んだ基準としてはものすごくヒットしたものだとか、それほどヒットはしていないが、日本のポップスを代表する楽曲としてなんとなく見なされているのではないか、と感じたものである。

そして、取捨選択にはどうしても個人的な趣味や嗜好が反映してくる。先ほども書いたばかりだが別に忘れているわけではなくて、大切なことなのでもう一度書いた。それでも客観性はなんとなく意識はしたので、それほど好きではないのだがこれは入れるべきだろうと思って入れているものもあれば、かなり好きなのだがこれに入れるのは違うのではないかと思って入れなかったものもある。というわけで、(欽ちゃんのドンと)いってみよう。

1. 東京ブギウギ/笠置シヅ子

1947年に書かれて、翌年にリリースされたらしい。もちろん私もまだ生まれていない。というか、戦後まだ間もないのではないだろうか。個人的にはこの少し後にリリースされた「買物ブギ」の方がグルーヴ感があって、関西弁が楽しいので好きなのだが、記事のタイトルのはじまりの年を少しでも古くした方が箔がつくのではないかというくだらない考えで、こちらを選んだのであった。子供の頃、親たちが観ていた懐かしのメロディー系のテレビ番組では聴いたことがあるような気がする。ブギのリズムが取り入れられた、ハイカラでとても陽気なポップスである。

2. 東京キッド/美空ひばり

リアルタイムでは超大御所のベテラン歌手としてしか知らないが、この曲は1950年の同名主演映画の主題歌として製作されたものらしい。さすがに歌が上手い。しかも、当時、13歳だったというのだから驚きである。歌詞にはチュウインガムやチョコレートといった単語が出てきて、戦後からそれほど経っていないことを感じさせるが、「もぐりたくなりゃ マンホール」というフレーズにはハッとさせられる(ここでいうマンホールとは、どうやら当時の空き地によく置かれていたという土管のことを指しているようだ)。

3. スーダラ節/ハナ肇とクレイジーキャッツ

植木等やクレイジーキャッツのリバイバルは何度か起こっていたし、三宅裕司やスチャダラパーが言及したりもしていたのだが、この曲がリリースされたのはそれよりずっと前の1961年である。いわゆるコミックソングではあるのだが、音楽的なクオリティはひじょうに高いのと、植木等の飄々としたヴォーカルがたまらなく良い。

4. 上を向いて歩こう/坂本九

元々のリリースは1961年で、この時にも日本でヒットしていたが、翌々年には全米シングル・チャートで1位に輝いた。日本のポップ・ソングとしては現在までのところ唯一の記録である。後にはRCサクセションのライヴのレパートリーとしても知られることになった。英語のタイトルが「スキヤキ」というのはよく分からないが、このタイトルでいろいろなアーティストにカヴァーされてもいる。辛い時でも前向きにいこう、というような内容は、いつの時代にも必要とされがちなメッセージのようにも思える。

5. ヴァケーション/弘田三枝子

サザンオールスターズの桑田佳祐が「MICO」という曲の中で「Japanese Diana Ross」と評していたように、素晴らしいヴォーカル・パフォーマンスである。コニー・フランシスの曲のカヴァーで夏休みの印象が強いが、リリース時期が秋だったこともあり、冬休みや春休みのことなども歌われている。

6. お嫁においで/加山雄三

若大将こと加山雄三はテレビによく出ている往年のスターという印象で、この曲もよく歌われていたのだが、レコード音源を聴いてこんなにもハワイアン的な要素が入った軽快なポップスだったのだと驚かされた。近年はラッパーのPUNPEEと共演、新しいアーティストやカルチャーをリスペクトする姿勢が、ヘッズたちからも好評である。

7. 帰って来たヨッパライ/ザ・フォーク・クルセダーズ

テープ早回しを用いたと思われるユニークなヴォーカルが特徴的なノベルティ・ソングで、物心ついた頃にもまだヒットの余波が続いていた印象がある。母の友人の白い家に連れて行ってもらった時、その家の子供が部屋のテープレコーダーで聴かせてくれた記憶がある。「おらは死んじまっただ」というのを面白がって真似していた。大人になってから聴いてみると、ベートーヴェンやビートルズが引用されていたり、かなり凝った録音作品であったことが分かった。

8. ブルー・ライト・ヨコハマ/いしだあゆみ

横浜のご当地ソングで、夜の大人のムードが感じられる歌謡ポップスであった。1991年に小西康陽のプロデュースで種ともこがカヴァーしていたことは、それほど話題になっていないような気がしなくもないのだがどうだろう。

9. 真夏の出来事/平山三紀

80年代半ばぐらいにみうらじゅんや泉麻人などが70年代の思い出を楽しそうに語っていて、こういうことをやる人になれたらいいな、と思っていたことがある。廃盤ブームとやらで、当時の歌謡曲を懐かしむような流れもあり、その代表格とされていたのがこの曲だったような気がする。「谷村新司の天才・秀才・ばか」を読んでいたので、平山三紀のことは、ばんばひろふみの妻として認識していた。

10. 雨の御堂筋/欧陽菲菲

ベンチャーズが作曲というか、競作もしていた曲である。カタコト気味のヴォーカルも相俟って、個人的にかなり好みのポップスに仕上がっている。大阪に行った時に御堂筋という標識のようなものを見て、あーここがあの曲のあれか、と感激した記憶がある。

11. 風をあつめて/はっぴいえんど

伝説のバンドことはっぴいえんどのアルバム「風街ろまん」に収録されていた曲である。日本のロック&ポップス名盤の定番であるこのアルバムだが、当時は熱心な音楽ファン以外の一般大衆にどれぐらい知られていたのだろうか。当時、まだ幼稚園児だったのでリアルタイムでの記憶は一切ない。大滝詠一の「ロング・バケイション」がヒットした後に誰かの「サウンド・ストリート」で聴いて、CDは86年に本厚木のたぶん新星堂で買ったような気がする。「ミュージック・マガジン」社などに顕著ないわゆるはっぴいえんど史観に思うところはあるが、「ロスト・イン・トランスレーション」でのハマり具合も含め、日本のポップ・ミュージック史においてあまりにも偉大だということに対する異論はまったくない。

12. 春だったね/よしだたくろう

1972年にリリースされたよしだたくろう(当時はアーティスト名がひらがな表記だったようだ)の「元気です。」というアルバムはものすごく売れたらしい。吉田拓郎(その存在を認識した頃にはすでにアーティスト名が漢字表記だった)は年上の人たちに神格化されているようなイメージがあり、さらにクリスタルな時代背景もあって、フォーク的なものは総じてダサいし、ダサいのはモテないという誤った刷り込みがあった。油断した状態でFMラジオを聴いていると、「元気です。」の1曲目に収録された「春だったね」がかかった。「僕を忘れた頃に 君を忘れられない そんな僕の手紙がつく」ではじまるこの曲を聴いて、この曲はきっと自分のことを歌っているのではないか的なマジックにかかり、それからは天才として認識している。この歌詞が吉田拓郎によるものではなかった、としてもである。まったくの余談だが、高校生の頃に私が友人のアマチュアバンドに楽曲提供する際のペンネームが「吉田パク郎」だったのだが、もちろん一瞬にして忘れるべき情報である。

13. み空/金延幸子

1972年リリースとのことだが、小学生だった当時の印象はまったく無い。90年代に小沢健二がライヴの会場で流しているとか流していないとこそのような話題で、その存在を知ったのだと思う。この頃には過去の日本のポップスを掘り起こすような人たちがかなり現れていたのではないかというような気がする。

14. 危険なふたり/沢田研二

今回、このリスト的なものの大きな欠点の一つはGSことグループ・サウンズが1曲も入っていないことである。ただ単によく知らないだけなので、いずれ克服したいと考えている。GSことグループ・サウンズ出身の人気者といえば元ザ・タイガースのジュリーこと沢田研二である。。国民的人気歌手としてヒットを連発し、ファッションなども話題になった「ザ・ベストテン」期ではあったが、これはそれ以前にわりとシンプルなアレンジとセクシーなヴォーカルでリリースされた、オリコン週間シングルランキングで1位になった曲である。

15. ポケットいっぱいの秘密/アグネス・チャン

1974年にリリースされたこのシングル曲は、松本隆の専業作詞かとしてのデビュー作でもあった。歌詞の最初の1文字をつなげると「アグネス」になるという仕掛けが施されていた。編曲を細野晴臣や鈴木茂が所属するキャラメルママが手がけた良質なポップスになっている。

16. ピンク・シャドウ/ブレッド&バター

茅ヶ崎出身の兄弟によるシティ・ポップ・デュオの代表曲である。とにかくこれが本当に1974年の曲なのかというぐらいにカッコいい。

17. しらけちまうぜ/小坂忠

細野晴臣プロデュースのシティ・ポップ名盤アルバム「HORO」に収録されていた曲だが、90年代に東京スカパラダイスオーケストラの演奏で小沢健二が歌ったことによって新たなファンを獲得した。男の強がりというか、ダンディスム的な美学のようなものが歌われていて素敵である。

18. ゴロワーズを吸ったことがあるかい/かまやつひろし

かまやつひろしのオリコンNO.1シングル「我が良き友よ」のB面に収録されていた曲で、90年代に「渋谷系」の人たちによって再評価された。小山田圭吾のトラットリアからCDを出したり、カヒミ・カリィとデュエットをしたりもしていた。何かに凝ることの大切さ、というか人生哲学についてすら説かれているような気もするカッコいい曲。

19. 砂の女/鈴木茂

はっぴいえんどのギタリストでもあった鈴木茂のソロ・アルバム「BAND WAGON」に収録されているとてもカッコいい曲。西川のりおの「冗談はよせ」はこの曲に影響を受けたものだという説は、一切どこにもない。

20. DOWN TOWN/シュガー・ベイブ

山下達郎、大貫妙子らが在籍していたバンド、シュガー・ベイブのアルバム「SONGS」に収録。当時、世間一般的にどの程度知られていたのかは、小学3年だった私には分からない。とにかくこの曲を初めて知ったのは80年のEPOのカヴァー・ヴァージョンによってであり、後に「オレたちひょうきん族」のエンディングテーマとしても知られることになった。

21. ロマンス/岩崎宏美

個人的にはこの少し後に出た「ファンタジー」を苫前町の本屋で聴いて、生まれて初めてなんて良い曲なのだろうと感じたことが印象深いのだが、この曲も大好きである。どこか切なげで都会的な気分が感じられるところが良かった。

22. あの日に帰りたい/荒井由実

ニューミュージックとはフォークがより都会的に洗練された音楽を指していて、それは日本人全体の生活レベルの向上とも関係していたような気がする。対立概念として四畳半フォークがあり、広告文化とも結びついた高度に資本主義的な意識は貧困を敵視していくのであった。よって、昨今の糸井重里や松任谷由実の有り様については、当然の帰結ということも出来る。「ユーミン・ブランド」のジャケットは発売からしばらく経った後でも、レコード店でよく見かけた。

23. 木綿のハンカチーフ/太田裕美

ストーリー仕立ての歌詞が印象的な曲だが、華やかで虚栄心に満ちた都会と素朴で自然な地方との対比を描いているようである。

24. 夢で逢えたら/吉田美奈子

「夢で逢えたら」のディフィニティヴなヴァージョンが吉田美奈子とは限らないし、吉田美奈子の代表曲は「夢で逢えたら」ではなかったとしても、この曲が初めてレコードになったのがアルバム「FLAPPER」に収録されたこのヴァージョンだったらしく、しっくりもくるのでこのままでいく。

25. ハイサイおじさん/喜納昌吉&チャンプルーズ

喜納昌吉が中学生の頃に作り、1971年にリリースされて以降、沖縄では知られている曲だったが、1977年のよりアップテンポなヴァージョンで全国的に知られるようになった。志村けんのギャグ「変なおじさん」の原曲であり、「ビートたけしのオールナイトニッポン」のエンディングでも流されていた。

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